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「見えない障害者」「invisible disability」についての考察――スプーン理論とは何か(認知度の低い慢性病患者のために)

  
長らく「私の斜頚はなぜ診断されないんだ」と騒いできたtinytim。なぜかといえばそれがmpsという慢性疼痛疾患の原因と目されていたからだった。軽度だからと斜頚(筋性)を放置され首のコリ肩の痛みに苦しむひとをたくさんネットでみかけた。私もそのひとりで、とにかく中枢神経の近くにあることも手伝って通常の頭痛どころではない強烈な痛みを十年以上背負ってきた。青春なんてものはなくただ痛みだけがそこにあった。あまりに小さい頃からだったので、そしてmpsは通常の急性の痛みとは違い深くて鈍く時折鋭いという特殊な形態であったこともあって、私はただの頭痛もちと認識していたしされていた。しかしもし私のような状態を経験したら誰でも緊張型頭痛を何とも思わなくなる。足指の捻挫に気付かないくらい痛みに鈍くなる。私は、こういうのはおこがましいかもしれないが、たとえどんな暴力を振るわれようとあの痛みに相当することはないと確信している。おそらくガンの末期の疼痛レベルだと思う。

そういう言語を絶する経験を経てふてぶてしく成長したわけだが、いつまでも親のすねをかじりたくないし、何より痛みへの恐怖にかられて原因さがしをはじめた。トリガーポイントの正確な位置を掴むまでに発症からおよそ10年を要し、発見された後も対症療法的なトリガーポイント治療になってしまい日常生活を送ることはまだできなかった。日常生活というのは、この場合普通に朝起きて、学校に行って、友だちとだべりながらランチして、部活をして、家に帰って宿題をして寝る、を意味する。その日常生活どころか、十分机につくのさえ苦痛だった。こんな私が高校を卒業できるわけもなく(自分の頭脳レベルより低い学校だったらマシだったかもしれないが同等の高校に入ってしまった時点でまずかった)二年の後半から不登校気味になり始め、三年生で本格的な不登校になった。それでも完全な引きこもりというわけでもなく、痛みを散らすために外出していたりもしたから親には不審がられた。

リューマチ、繊維筋痛症、胃不全麻痺、腸麻痺など、認知度が低く、外から見えにくく、慢性的な(痛みを伴う)病気を抱える人を、英語圏ではスプーニーなどと呼ぶ。これは文字の意味そのままで、スプーン子たち、という意味である。スプーン子たちは、スプーン理論に基づいて開発された呼び名である。スプーン理論(spoon theory)というのはいつだかに頭のよい慢性病患者の一人が考え出したものだ。そのひとは普段から自分がもつ病気の辛さを健常なひとに分かってもらうことに苦労していた。そこでスプーン理論を考え出した。

その人はまず健康な友人にスプーンを数本与えて、「これが今日一日の活動分」と宣言した。そして、友人のあらゆる行動――食事をつくる、食事を片付ける、掃除をする、買い出しにいく、シャワーをあびる、学校の宿題をする……etc――のたびに、相当する分のスプーン(例えばシャワーなら一本、食事の準備なら二本というふうに)を奪い去った。そして、スプーンがなくなると友人はもう何もしてはいけないと言った。あらゆる行動にスプーンの数という制限が加えられた友人は最後には取り乱すことになった。そして、最後にその患者――クリスティーンさんはこう言った。「あなたたち健常者はスプーンを無限に持っている。でも私たち慢性病を抱える者は決まった本数のスプーンしかない。その上、今日使いすぎれば明日の分が足りなくなったりする。私たちの日常はこうも制約されているのだ」

その時、彼女の友人は本当に彼女の辛さを理解したという。

外から見えにくい病気を内部疾患といったりもするが、英語圏ではinvisible disabilityとも呼ばれる。「見えない障害者」だ。私たちインビジブルディスアビリティーは公共交通機関で席を譲ってもらうことができないし、優先席に座れば変な顔をされる。体が辛いと訴えれば、精神的なものだと医者からさえ言われる。でも、私たちはここにいる。ここにいて、周りから怠け者とか言われながら、暗闇の中でもがいている。正確な診断まで何人もの医者を回る人もいる。診察でとんちんかんなことを言われて、最後には「精神的なもの」で終わりのことも多々ある。そういう人が少しでも少なくなることを願って、こういう記事を書いたりしている。私のは、軽度の斜頚によって引き起こされた恒久的なトリガーポイントという特殊なケースだが、人はみんな違っているし、人間の体は摩訶不思議で、現代医学で解明できないことは山ほどあるのだから、引け目を感じたりは一切しない。私は今日も堂々とスプーニーを名乗り、堂々と優先席に座りたいと思う。