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明治期から昭和の女性の人身売買を描いた傑作「親なるもの 断崖」part3

*ネタバレがあります

*(e)=(English)

4,ミソジニー社会が生み出したミソジニックな広告の仕方

ここでいよいよ本題に入る。

作品の内容はひとまず置いておく。作者がフェミニズムを理解していることは疑いがない。

問題なのは広告の仕方である。あの広告を見て作品を読む気になる女性がどれだけいるだろうか?数百ページにわたる物語の中で、広告の’ 醜女’ 道子は端役的存在である。

彼女は遊郭に売られた四人のうち唯一売春を望んだ存在であるが、物語の舞台である幕西遊郭より下級の女郎部屋に安く下げ渡されたのち患っていた病気により死亡する。道子の運命は悲劇的ではあるが、作品の主題はむしろ幕西でトップに上り詰めた娼婦お梅の、女であるがゆえに苦しみ抜いた人生にある。

股を腫らし1日10人以上の相手をしても、その人数は少なく記帳され、借金は一向に減らない。性病予防も避妊もなされない劣悪な環境で同僚は梅毒で、あるいは危険な中絶を行なったせいで死んでゆく。(吉原遊郭でも梅毒は顕著(e)であったようだ。)

客からの暴力で気が触れた同僚がわめき散らし、セックスの知識のないまま客をとらされた女はその翌日に首を吊る。( 性行為のやり方を教えられていない女性は通常高値で売れるため<水揚げ>)

逃げられないよう外出は制限され、広い空を仰ぐことも滅多にできない。

性奴隷同然で鎖に繋がれ、人権を剥奪されて虐げられる日々はまさに生き地獄。女が男を恨み、社会を恨み、その復讐のために娘を産んで次の世を託すというのが物語の本筋である。人間ではなく、快楽のための道具として社会のすべての構成員から虐待された性奴隷たちの中で道子は一種異質な存在である。誰も人間未満になりたくはない。ひとから’ 牛馬にも劣る存在’ などと言われたくはない。しかし道子はそれを望んだのである。

「性奴隷になってまで男を(どんな醜い、貧しい、老齢の男であろうとも) 求める女」という存在はしかし、現代の社会でも男に歓迎される。それは、そういう女の存在が男にとって都合よく、男を安心させるからだ。ミソジニー社会においては、性の自治権のない女、すなわちいつでもだれでも手に入る女は歓迎される。( そして女性がピルなどでおのれのセクシュアリティをコントロールしようとするやいなや社会は彼女らを糾弾し罰する)

道子はそういう自己評価が低い女であり、貞淑ではないことを責められる一方、賞賛される対象である。だからこそ、広告の担当者は意識的にせよ無意識的にせよ道子のシーンを抜粋したのだ。( 補足しておくと道子はただ性的快楽の追求のためだけに娼婦になったのではない。遊郭を逃げ出したお梅に連れられて行った地球岬で臨終間際に”おらァもう男とれね……おらァ…いっぺえ男とっていっぺえ金かせいでいなかの父ちゃんや母ちゃんに腹いっぺえごはん食べさしてやりたかったなァ” と売春の動機を語っている。<1巻p309>)

個人的には、作者はこの抜粋の仕方をあまり好まなかったであろうと推測する。もし私がウェブの広告のためにどこかのページを抜粋するとしたら、売られてすぐに知識のないまま客をとらされ首を吊った松恵のシーン(1巻43-46p) が適当のように思う。

-セックスワーカーも職業人

もう少し広告の表現を細かく見ていくと、職業蔑視の表現も気になる。(実際には仕事というより奴隷労働なのだが……)

「女郎に下る」という言い方はあたかも性産業に属するひとが、そうでないひとより人間として劣るかのようである。実際は職業は職業であり、他の社会人と同じように性的サービスを売ることによって日々の糧を得ている。職業に上も下もない。元セックスワーカーでセックスワーカー情報センターの創設者のMariska majoor氏は、売春はプロフェッショナル(e)な仕事でありお金を得る手段であると言い切っている。

(売春の自発性についての討論にて。この問題は別にまた論じたい)

-外見差別

“醜女” という表現はもちろん女性の価値が外見的要因によってのみきまるということを示唆する点で性差別的だ。しかし同時に、絶対的、普遍的美しさは存在するのかを私に考えさせる。

醜い人間は、美しい人間より人間的価値がないのであろうか。そもそも美しさは客観的に評価できる類いのものだろうか?科学的に裏付けのとれる’美’ の条件が何であるかはまだ解明されていないようだ。( ‘健康’ と美しさがリンクしているらしいことは分かってきているようだ—ひとがどんな顔を魅力的だと思うかについての研究で、ひとは対称的で平均的な顔をより魅力的だと感じる傾向があるということが判明したらしい。そして顔の対称性は健康状態とリンクしているという研究(e)もあるーーー)

どんな顔をもってして魅力的というかは、本能の他に文化的文脈も絡んでいることを忘れてはいけない。私たちはなぜ一重よりも二重まぶたを好むのだろうか?韓国のセクシュアリティやフェミニズムについてのブログThe Grand Narrativeによれば、それは社会が西欧化された(e)せいだという。

近代は西欧支配の時代だった。アジアで、アフリカで、西欧諸国の影響を受けなかった国はほとんどない。日本も例外ではない。開国に伴って生活様式も価値観も西欧の影響を受けた。私たちは着物を着なくなり、時計に従って行動するようになった。

西欧化の中で美は、より西欧人、白人の特徴を持つこととなり、くっきりした二重まぶた、大きな目は賞賛されるようになった。

この例からも見られるように、今日の” 美しさ” の定義は、絶対的、普遍的なものではなく流動的なものである。ある時代に魅力的とされた特徴は、別の時代ではそうではない。

5, 人身売買はまだ終わっていない

米国国務省の2011年の人身売買報告書(e)

などによれば、日本は先進国のなかでも特に深刻な人身売買の問題を抱えており、主に東アジア、東南アジア出身の女性と子供がその被害を被っているという。(詳細は以下参照)

Japan is recognized as having one of the most severe human trafficking problems among the major industrialized democracies.4 Japan is a destination country for women and children from East Asia, Southeast Asia, and to a lesser extent, Eastern Europe, Russia, and Latin America who are subjected to sexual and labor exploitation.5 Recruitment techniques are often based on false promises of employment as waitresses, hotel staff, entertainers, or models.6 Traffickers also use fraudulent marriages between foreign women and Japanese men to facilitate entry of victims into Japan for forced prostitution.7 
Human trafficking.org

日本は先進国のなかでも特に程度が高い人身売買の問題を抱えていると認識される。日本は主に東アジア、東南アジアの女性と子供が売られていく場所であり、また彼らより割合は低いが、東ヨーロッパ、ロシア、ラテンアメリカの人びとも含まれる。彼女らは性的搾取や強制労働の対象とされる。彼らを勧誘する手法には、よくウエイトレスやホテルの従業員、芸能人、モデルとしての仕事を約束して騙すという方法が使われる。人身売買を行う者たちはまた被害者を日本人男性と不正に結婚させて入国させ、強制売春に従事させる。(筆者訳)

悲惨な人身売買は決して過去のものではない。私たちはその被害を減らすためにこれから努力していかなければならないだろう。