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NHK heartnet TVでのM氏の発言について

この頃、NHKではLGBT啓発週間なのか、午後八時からのHEARTNET TVという三十分番組でセクシュアルマイノリティ特集を毎日やっている。先日の回は、Mさんが「性と生について語る」というテーマで、対談の形式で、自らのセクシュアリティと生き方について思うことをおっしゃっていた。私自身はセクシュアルマイノリティであり、女で、女の子を好きになる人だ。だから、彼が、今この国で、最も力のあるオープンリーゲイの芸能人として、またドラアグクイーンとして何を語るのかとても興味深かった。結果は、失望だった。これ以上聞いたら、自分の気持ちが立て直せなくなる、と思ったので冒頭十五分、つまり半分まで聞いた時点でテレビを切ってしまったのだが、その中で気になる点は二つあった。

まず、彼は、親子関係について言及された時、「(親に対し)公式にカミングアウトはしていない」とし、その理由に、「年老いた両親に自分がゲイであるという事実を知らせるのは、無責任だし申し訳ない」というような主旨のことを言った。最初の気になりポイントはここだ。どうして、子供がセクシュアルマイノリティであることがそんなにいけないことなのだろうか。それは親にとって、恥であり、カミングアウトすることは、周りの迷惑を鑑みない、”無責任な”行為であり、それは恥ずかしいことなのだろうか。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、その他の数多のセクシュアルマイノリティの人々は、そんなに”恥ずかしく””無責任な”存在で、エクスキューズなしでは、カミングアウトすることも許されないのだろうか。そして、こういう言説を、影響力を持った大人が発した時、子供はやはり、それに影響されて、自分は恥ずかしい存在、特別な理由なしには家族にはカミングアウトしてはいけない存在なのだと思い込んでしまう可能性が高くなってしまうと思う。日本のLGBTユース(若者)には、圧倒的にロールモデルが少ない。カミングアウトしている政治家、芸能人、その他影響力のある人物は少なく、映画、本、漫画、雑誌に登場するのは男女のカップルの恋物語――それが悲恋であろうとコメディであろうと――であり、マスメディアはLGBTの存在を無視し、テレビは彼らを道化として、またどこか遠くにいる異常者としてしか扱わない。授業では、この世には男女のカップルしかいないことになっており、時にはシスヘテロ(自分の体に性別違和感がなく、異性を好きになる人たちのこと)の男女以外の者についてネガティブなメッセージが発されることもあり、それは罰されない。このような、LGBTが社会から疎外された状況の中で、それなりに影響力のあるオープンリーゲイ(ゲイであることを周囲にカミングアウトしている人のこと)の方は、発言に非常に気をつける必要が出てくると思う。同じ同性愛者の人、とくに人生経験の浅いユースに対して、”同性愛者であることは恥ずかしいことだ”などというネガティブ・メッセージはできるだけ発さないでほしい。思っていたとしても、言わないでほしい。それは、若者を傷つけてしまうから。私も、その発言を受けて耳を塞ぎたくなった。現代の日本で、同性愛者であることをオープンにして生きることは、大変なことだと思う。ましてや、テレビに顔出しをして、カミングアウトするのはとても勇気のいることだし、尊敬している。だからこそ、Mさんを尊敬しているからこそ、私は、”LGBTへのネガティブメッセージを発信しないで”と強くお願いしたい。

二つ目の気になりポイントは、彼の「同性愛者であろうと何であろうと、自分が理解されないことを他人のせいにするな」だった。私はこれを聞いたとき、がっくりきた。彼は問題をあまりに一般化し希釈し過ぎている。確かに、一般的な人間関係において、相手に過度の理解を求めることはあまり賢いとはいえないだろう。親友であろうと守るべき一線はあるし、「私のすべてを理解して」というスタンスの人と関係が長く続かないのは自明の理だ。一般論としては完全に正論だ。しかし、マイノリティの人達にそれを言うのはあまりに残酷ではないだろうか。彼らが理解されず、迫害を受けているのは、あきらかに”その他の人達の理解不足、知識不足、恐れ”のせいであり、決して彼らのせいではない。LGBTが十分に日本社会に認識されていないのは、同性同士のパートナー法が制定されていない法律、LGBTについて触れられない保健の授業編成、LGBTに対する間違った認識(「ゲイは誰かれ構わず男を襲う」「レズビアンは過去に男に対する性的トラウマがある/エロい」「同性愛者はいない」「同性愛は”治療”できる」「レズビアンは男のよさを知らないだけ」「エイズはゲイの病気」など)の流布、などからあきらかであり、それを正すために、LGBTの人達は理解を求めていいと思うのだ。「何で理解してもらえないの」と泣いていいと思うのだ。それすら許されなければ、人間として生きている価値がないとすら思う。LGBTは化け物でも見世物でもない。あなたの隣にいる”人間”なんだよ、ということの何が悪いのか。シスヘテロの人達が享受している社会の恩恵を同じように受けたいし、その権利があると私は思う。こういうもろもろの思いが一気に湧き上がってきて、私はそれ以上テレビを見れなかった。LGBTコミュニティの中にも当然敵はいるのだと学べた日だった。

LGBTユースの、そして大人の人たちへ。――私たちは美しいよ!!元気がつく動画を一個☆

アメリカ人レズビアンデュオBria and Chrissyによる、LGBTの権利向上を鼓舞する、Avril Lavigne, Let Me Goのカバーのミュージックビデオ。(注:動画に出てくるFAG, QUIEER:オカマ、おなべ、変態など、LGBTに対する差別用語)