太りやすい体は悪いものか? chapter 2:低体重の危険性 1

今時分メタボを批判するひとにはこと欠かないが、低体重の危険性を説くひとはどのくらいいるのだろうか?
痩身至上主義の中で中肉中背ややや太めのひとが自信を保つのは難しい。彼らは健康的な体格でありながら現代社会においては”太っている” と認識され、それはしばしば本人の怠け性やだらしなさを示唆する。
太っているひとがきちんとしていない、というのはステレオタイプな見方である。ひとを、ある特性によってグループ分けしてラベルを貼るのは簡単かもしれないがあまり賢いことではない。太っていても勤勉なひともいるし、痩せていてだらしないひともいる。外見ひとつでひとを見通すことはできない。

太っていることがなぜ社会的スティグマとなるのか。それは、そうすればダイエット産業が儲かるからというのが一因にある。痩せイコール美という認識を大衆に植え付ければ会社は潤う。一昔前の日本、あるいは他の文化では、現在太っているとされる体格は美しいとみなされた。木の枝のようにガリガリであることが”よい”とされているのは現代のこの文化が作り上げた結果であり普遍的なものではない。

ではなぜ「痩せ」賛美が危険で問題なのか?それは実現不可能な理想像に常に晒されることにより目標(低体重)に到達できない自分を責め自己評価を下げ悪い精神状態(ときにうつ病、自傷行為、摂食障害にかかりやすくなる) を誘発するだけでなく、ひとを過度で危険なダイエットに走らせうるからである。(そしてそれは摂食障害と紙一重の位置にある)世界保健機構が低体重と定義づけているのはbmi18.5以下である。これ以下の体重となると身体にさまざまな悪影響を与えやすいといわれ、骨粗鬆症や貧血、不整脈のリスクが増す。心臓に負担がかかりやすくなるのは、体脂肪があまりに少ない状態だとからだはエネルギーを作れず生きるのに必要な熱が失われていき、それを補うため、筋肉の組織を分解してエネルギーにし始めるからである。つまり筋肉を壊して体温を保ったり、動いたり思考したりするためのエネルギーとするので(ちなみに脳は普段グルコースをエネルギー源としているが、それがなければタンパク質ーーつまり筋肉ーーを分解して得られるアミノ酸をガソリンにすることができる) 筋組織は痩せ衰え、機能しにくくなる。手や足の筋肉が多少減ったところでただちに生命に危険を及ぼすことはないが、心筋が弱ると不整脈を起こしやすくなり、時にそれは致死的となる。拒食症患者の致死率が精神疾患の中で最も高い一因にこの心臓の衰弱とそれに伴う発作があげられる。

過度の食事制限は上記のような状態を引き起こすだけでなく、免疫力を下げ感染症にかかりやすくする。また、病的なダイエットは過食、下剤の多用、嘔吐、代償行動としての運動を伴うことがある。これは摂食障害の領域であり、程度が酷いと電解質異常(電解質というのはカリウムやナトリウムなどのこと。人間の体液の電解質濃度はかなり厳格に調整されており、バランスが崩れると意識障害や不整脈を引き起こし、時には死に至ることもある。この電解質のバランスを体液と近くし吸収されやすくしたのがスポーツ飲料やos1などである) や虫歯を引き起こしたり、下剤がないと排便できなくなったりする。まだあまりこの分野に関しては研究が進んでおらず裏付けデータはないが、過食嘔吐症が胃不全麻痺の発症に関与している可能性についての指摘もある。(胃不全麻痺は胃が食べ物を小腸に送れなくなる病気。症状が酷いと食べても吐いてしまいものをたべられなくなる。難病で、亡くなることもある)

ミシガン大学の生徒の性的不正に対するポリシーから学ぶ性的行為への「同意」の定義

米国ミシガン大学のサイトに学生の不正な性行為を諌めるためのポリシーがあり、興味深かったので抜粋して翻訳する。ボディタッチ、セックスなどさまざまのレベルの性的接触を含む性行為に、合意が必要だという大前提がまずある。なぜかというと、それは自分の体を一時他人に明け渡すということであり、自分の領域に他人を入れるからだ。しかしながらこの「合意:consent」の定義は日本においては曖昧な印象があり(

お茶を濁すというか、白黒はっきりしないことを美徳とする民族性の影響もあるのかな?はっきりノ―ということが、性行為に限らず難しい文化ということも関係しているのかな?)、比較的定義付けをしっかりしているアメリカを見習うことは、性的に搾取されやすい女性や子供、しょうがい者、性的少数者のみならず、少ないが確実に存在する性犯罪の男性被害者(アメリカでは10%は男性といわれる。加害者の99%は男性であるというデータもある→University of California Santa Cruzの女性学の教授Bettina Aptheker氏の2009年に行われたレクチャー第十二回、Politics of Rape(レイプのポリティクス)において言及されている。PodcastでUC santa cruzを検索で聴けます)にとって、そして社会の構成員全体にとってよりよい共同体形成のための第一歩となる気がする。

露出の高い服を着て夜道をひとりで歩いていたら性犯罪を誘起しているのだろうか?違う。愛想を振りまく人はセックスを誘っていると推測していいのだろうか、違う。恋人同士なら、あるいは夫婦なら、相手の都合に構わずセックスを強要してよいのだろうか?違う。結婚は性行為の同意を前提とするのか?もちろん違う。誰だってしたくないときはあるし、疲れているときもあるし、ひとりになりたいときもある。それは相手を嫌っていることを意味しない。好意があれば何をしてもいいというものではない。すべての人間は自分の体をいつどこでどのように使うか、に対しての主権があり、それは夫や、恋人に帰属するものではない、とミシガン大の性犯罪防止センターは言っている。

 

At the heart of consent is the idea that every person has a right to personal sovereignty – not to be acted upon by someone else in a sexual manner unless they give clear permission to do so.  It is the responsibility of the person initiating the sexual activity to get this permission.  Absence of clear permission means you can’t touch someone, not that you can.

Sexual assault prevention and awareness center, consent and coercion, University of michigan student life

 

合意についての核となる考え方は「全ての人間は個人的主権をもっている」というものだ。つまり、明確な承認なしに他人に性的行為をされない権利である。性行為の行為者は相手からこの承認を得る義務がある。相手の、性行為に対する明確な承認の欠如(あいまいな態度)は、承認を意味せず、拒否と考えるべきである。

 

 

合意と脅迫の線引きを明確にすることで、ひとの主権を保護することが容易になる。同意というのは、服装や態度によって得られるものではなく、一度関係があったり付き合っていたり婚姻関係にあるという事実のみで得られるものでもなく、明確な承認なしに推測されるものでもない。加害者のアルコールの摂取による強制的な性行為も許容されない。(ミシガン州の法律においては加害者のアルコールの摂取の有無にかかわらず加害者は同様に裁かれる)沈黙は同意を意味しない。(それは拒絶と推測されるべきで、性行為の行為者は相手から明確な承認を得る必要があり、それがない場合は強制的な性行為である)

また、二者の間に権力の差がある場合は(雇用主と従業員、教師と生徒など)2人のセクシュアルな関係にこの権力構造が影響を及ぼしていないとは考えにくい。

ミシガン大スチューデントセンターのsexual assault prevention and awareness centerは最後にこう締めくくっている。

 

When coercion is used to convince a person to have sex or engage in sexual activities when they not want to do so, this is sexual assault, as defined by Michigan law.

Some examples of coercion are saying things like “If you loved me, you would”, threatening self-harm, or making someone feel as though they owe someone sex for buying them dinner, giving them gifts, etc.

 

このような脅迫が相手の意に反する性行為への説得に使われるばあい、これはミシガン州法によってsexual assault(レイプ・強制わいせつ)と定められている。脅迫は、例えば「愛しているならセックスしてくれるはずだ」と言ったり、自傷行為をほのめかしたり、食事代の支払いやプレゼントと引き換えにセックスしなければならないかのように相手に感じさせたりすることで行われる。

 

(感想)

 

ある犯罪が、犯罪被害者の落ち度によることはない。TEDxTalksで誰か女性権利擁護者が言っていたが、性犯罪は女性問題ではない。性犯罪で犯罪におよぶのはほとんどが男性であり、問題となるのは男性だからだ。また、被害者のおよそ10%は男性の加害による男性の被害者だ。(つまり被害者が女性に限らない)

端的にいうと性犯罪は男性問題である。だから女性の服装とか一人歩きとか言動(あなたが彼を刺激するようなことを言ったんじゃないの?)に焦点をあてるのではなく、男性がなぜこれほどまで加害におよぶのかを研究した方が解決が早いし筋道だっている。

「性犯罪は男性問題」という認識と、「セックスの合意をとるのは、行為者側の責任」というコンセンサス、どこまでが合意でどこからが脅迫を用いた性行為なのかを、二者の間の権力構造を理解すると共に意識していくことが重要であろうと思う。

太りやすい体は悪いものか? chapter1:自分の体が嫌いだった頃

幼稚園までは自分の体に悩むことはなかった。人より太っているとか、劣等感をもったことはなかった。しかしほとんど骨と皮のアイドルやモデルが、「理想」とされ、太っていることが(特に女性の場合)非魅力的どころかだらしない、勉強ができない、女らしくない(あたかも「女らしい」女が最も魅力的であるかのように)と、外側だけで中身まで批判されている内容が目白押しのテレビや漫画、雑誌の影響で、10歳頃には既に自分の体を嫌っていた。更に第二次性徴を迎えて脂肪がつき、体が丸みを帯びてくるとそれは顕著になった。それから高校を卒業するまでは、自分は太く、醜く、人間として尊重に値しないと思い込んできた。そして日々ダイエットをしては挫折して虚しさを友人と愚痴りあった。その頃、私の頭の中には、骨と皮だけじゃない(肉がついている)=醜い、という図式があった。

「痩せ」の賞賛のオンパレードのメディアに日々晒されていれば、ひとは、多かれ少なかれ影響を受ける。中学、高校の頃、私は拒食症と過食嘔吐が合わさったような状態で、常にふくらはぎの脂肪を嫌い、ある一定期間絶食してその後衝動食いをする、といったサイクルに落ち込んでいた。そして食べた後は罪悪感でいっぱいになり、発作的に運動をしたり、食事を抜いたりして食べた分を消費しようとしていた。(細かいことをいうと、私は過食嘔吐の状態だったが、一度も吐いたことはない。日本語の定義で過食嘔吐がどの程度まで包括するのか分からないが、日本語の過食嘔吐は英語のbulimiaに相当し、bulimiaは単に食べ吐きを指すわけではなく、多量に食べた後に下剤を使用したり、運動したり、食事を抜いたりして食べてしまった分を「埋め合わせ」る行為を続ける病気を指す。私はここでは、bulimiaと過食嘔吐を同様のものと考えて発言している。)私は、特に健康を害するほど太っていたわけではないが、bmiが18を切るようなモデルやテレビのタレントよりはかなり太っていた。私の人生で一番太っていたときでも標準体重を少し上回るくらいだった。

しかし私はそれでは不満だった。膝の上に肉がついているのが許せなかった。外出時、レストランのガラス窓に映った自分を見ることさえ嫌悪していた。そのくらい、自分へのネガティブな感情に満ちていた私がどうやってそこを脱出したかというと、まずはじめにテレビを一切みなくした。テレビのダイエットのコマーシャルに出てくるafter写真の女性は骨と皮ばかりに痩せていて、before写真では私の体型に近かった。そのようなコマーシャルがどのような考えを流布しているかというと、「今のままではあなたは十分ではない。まだ魅力的ではない。もっともっと痩せる必要がある」ということだ。そういう情報に晒されれば晒されるほど、自分の体に対する嫌悪は高まり(そして応応にして出てくるモデルは実現不可能なプロポーションをしている)、ダイエット食品や関連本を買うことになる。しかし、美容産業はずっと儲けていたいので、大体のダイエット本やダイエット食品は科学的裏付けのない適当なものだ。

なぜダイエット産業はこれほどまでに「痩せ」を賞賛するのか。実現不可能な細さを(主に)女性に求めてくるのか。それは、彼らが儲かるからである。私たちが自分の体に不満を持てば持つほど彼らの利益は大きくなる。これを理解したとき、私は不愉快なメディアとの接触を最低限にすることを決心し実行した。ネットで自分が観たいものを、見たい時にピックアップすることを習慣づけるようになってから、自分が太っていると思わなくなり、自分の体を愛せるようになった。実際、よく見てみればスタイルはいい方だった。ダイエットなんてする必要はない。仮にしたとしても、少女時代のユナちゃんには絶対になれないことは骨格上分かっているから無駄な努力はしない。ない物を羨むよりも、今自分が持っているものをありがたく思うようにすると、今まで自分の体が嫌いだったことが不思議だったほど、自分の体に満足できるようになった。

テレビ、映画、雑誌(特にファッション誌)、ダイエット本、そして時に漫画や小説などの創作物の多くの理想の女性は、「若くて美形でスタイル抜群(ほとんどの人間が実現不可能なほど細い)」である。(そして男を立ててくれる)そのような「鋳型」が西洋文化の訪れと共に日本に絶大な影響を及ぼし始めたことは想像に難くないだろう。「ガリガリ=美しい」という概念は多くの女性を無駄なダイエットに走らせ、彼女たちの時間と金を奪い去る。摂食障害を誘起することもあるし、精神疾患に導くこともある。この中で最も死亡率が高く危険だといわれているのは拒食症や過食嘔吐などの摂食障害である。アメリカの調査では、拒食症患者の五人に一人はその病又は自殺により亡くなることが判明している。つまり拒食症は死亡率20%の疾患で、精神疾患の中で最も死亡率が高い。また、過食嘔吐の患者はよく下剤を使ったり嘔吐したりするが、これは体の電解質のバランスを崩し、低カリウム血症などとなり致命的な不整脈を誘起しうる。

上記にあげたように、低体重を目指すことは健康的ではなく、時に軽いダイエットで始まったつもりが生命を危機に晒すことになる。拒食症とメディアの痩せ信仰の関連性はまだ証明されていないが(テレビを見てダイエットを始めても適切なところでストップできるひともいる)、健康ではなく痩せを目指すことの危険性を次章でとりあげていきたいとおもう。

「見えない障害者」「invisible disability」についての考察――スプーン理論とは何か(認知度の低い慢性病患者のために)

  
長らく「私の斜頚はなぜ診断されないんだ」と騒いできたtinytim。なぜかといえばそれがmpsという慢性疼痛疾患の原因と目されていたからだった。軽度だからと斜頚(筋性)を放置され首のコリ肩の痛みに苦しむひとをたくさんネットでみかけた。私もそのひとりで、とにかく中枢神経の近くにあることも手伝って通常の頭痛どころではない強烈な痛みを十年以上背負ってきた。青春なんてものはなくただ痛みだけがそこにあった。あまりに小さい頃からだったので、そしてmpsは通常の急性の痛みとは違い深くて鈍く時折鋭いという特殊な形態であったこともあって、私はただの頭痛もちと認識していたしされていた。しかしもし私のような状態を経験したら誰でも緊張型頭痛を何とも思わなくなる。足指の捻挫に気付かないくらい痛みに鈍くなる。私は、こういうのはおこがましいかもしれないが、たとえどんな暴力を振るわれようとあの痛みに相当することはないと確信している。おそらくガンの末期の疼痛レベルだと思う。

そういう言語を絶する経験を経てふてぶてしく成長したわけだが、いつまでも親のすねをかじりたくないし、何より痛みへの恐怖にかられて原因さがしをはじめた。トリガーポイントの正確な位置を掴むまでに発症からおよそ10年を要し、発見された後も対症療法的なトリガーポイント治療になってしまい日常生活を送ることはまだできなかった。日常生活というのは、この場合普通に朝起きて、学校に行って、友だちとだべりながらランチして、部活をして、家に帰って宿題をして寝る、を意味する。その日常生活どころか、十分机につくのさえ苦痛だった。こんな私が高校を卒業できるわけもなく(自分の頭脳レベルより低い学校だったらマシだったかもしれないが同等の高校に入ってしまった時点でまずかった)二年の後半から不登校気味になり始め、三年生で本格的な不登校になった。それでも完全な引きこもりというわけでもなく、痛みを散らすために外出していたりもしたから親には不審がられた。

リューマチ、繊維筋痛症、胃不全麻痺、腸麻痺など、認知度が低く、外から見えにくく、慢性的な(痛みを伴う)病気を抱える人を、英語圏ではスプーニーなどと呼ぶ。これは文字の意味そのままで、スプーン子たち、という意味である。スプーン子たちは、スプーン理論に基づいて開発された呼び名である。スプーン理論(spoon theory)というのはいつだかに頭のよい慢性病患者の一人が考え出したものだ。そのひとは普段から自分がもつ病気の辛さを健常なひとに分かってもらうことに苦労していた。そこでスプーン理論を考え出した。

その人はまず健康な友人にスプーンを数本与えて、「これが今日一日の活動分」と宣言した。そして、友人のあらゆる行動――食事をつくる、食事を片付ける、掃除をする、買い出しにいく、シャワーをあびる、学校の宿題をする……etc――のたびに、相当する分のスプーン(例えばシャワーなら一本、食事の準備なら二本というふうに)を奪い去った。そして、スプーンがなくなると友人はもう何もしてはいけないと言った。あらゆる行動にスプーンの数という制限が加えられた友人は最後には取り乱すことになった。そして、最後にその患者――クリスティーンさんはこう言った。「あなたたち健常者はスプーンを無限に持っている。でも私たち慢性病を抱える者は決まった本数のスプーンしかない。その上、今日使いすぎれば明日の分が足りなくなったりする。私たちの日常はこうも制約されているのだ」

その時、彼女の友人は本当に彼女の辛さを理解したという。

外から見えにくい病気を内部疾患といったりもするが、英語圏ではinvisible disabilityとも呼ばれる。「見えない障害者」だ。私たちインビジブルディスアビリティーは公共交通機関で席を譲ってもらうことができないし、優先席に座れば変な顔をされる。体が辛いと訴えれば、精神的なものだと医者からさえ言われる。でも、私たちはここにいる。ここにいて、周りから怠け者とか言われながら、暗闇の中でもがいている。正確な診断まで何人もの医者を回る人もいる。診察でとんちんかんなことを言われて、最後には「精神的なもの」で終わりのことも多々ある。そういう人が少しでも少なくなることを願って、こういう記事を書いたりしている。私のは、軽度の斜頚によって引き起こされた恒久的なトリガーポイントという特殊なケースだが、人はみんな違っているし、人間の体は摩訶不思議で、現代医学で解明できないことは山ほどあるのだから、引け目を感じたりは一切しない。私は今日も堂々とスプーニーを名乗り、堂々と優先席に座りたいと思う。

 

怒りを「使う」ということ――アドラー心理学的負の感情の位置づけ

はじめに:私はアドラー心理学の専門家ではないし、何の資格もありません。ただ、アドラー心理学による子育てを受け、多少それに関する本を読んだただの素人です。これから書くことは参考程度にしてください

 

アルフレッド・アドラーは今から一世紀ほど前、フロイトやユングと同時期に存在した心理学者だ。岸見一朗さん著の「嫌われる勇気」という書籍を読んだ人なら多少聞きおぼえがあるかもしれないが、ほとんどの人はその存在を知らないだろう。フロイト派が文化によく根差したのに対しアドラーの開発した個人心理学が根付かなかった理由のひとつに、アドラーが残した文献の少なさをあげる人もいる。

古代ギリシアの哲学者たちのように、アドラーは書物を残すことによってではなく、人や弟子たちとの直接のやり取りを通してそのノウハウを広めることを好んだ。その結果、今に残るアドラーが書いた本はあまり多くない。

アドラーの個人心理学とフロイト派の決定的な違いは、精神病のとらえ方にある。例えばあるひとが対人恐怖症であるとする。人前に出ると緊張して過呼吸がおきて息ができなくなるという症状を訴える。フロイト派のカウンセラーはこう言うだろう。「前に何か人前に出る事でトラウマティックな経験をしたからそうなるのです。笑われたりとか、辱められたりとか、辛かったのでしょう。原因はそこです」これに対してアドラー博士は、トラウマを一笑に付す。「あなたは人前に出てひとに批評されることが嫌なのです。ひとにバカにされると負けたように感じます。あなたは常に勝ちたい。批評されたくない。耳当たりの良い言葉だけを聞いて人と対峙したくない。だから対人恐怖を”使って”嫌な状況に陥るのを避けているのです。又はやりたくないことをやらなくて済むようにしているのです」

フロイトは患者の症状の原因を過去に求め、アドラーは現在に求める。フロイトは原因論、アドラーは目的論。これが二者の決定的な違いだ。一見アドラーはとてつもなく冷たい人間に見える。個人心理学は人を悪意をもった存在だと感じさせるところがある。しかし現在の症状を過去に求めないことは、治療の上で理にかなっている。なぜなら過去は絶対に変える事ができないからだ。

あなたの病気の原因が何年前のこの出来事にあります、とか、親に虐待されたから今鬱になっているのです、とか言われたところで、過去は変えられない。確かに、大変な経験をすれば精神疾患にかかりやすくなるのは道理だ。lgbtのユースの自殺のリスクがヘテロセクシャルの同年代に比べて高いことや、崩壊した家庭で育った子供がアルコールに手を出しやすくなることは事実でありデータとしてある。しかし同じ経験をして、それを一生引きずる人と、一年で忘れてしまう人がいることを鑑みると、原因論ではこれを説明できない。原因論によれば、たとえば虐待された子供は非行にはしり、アルコールに溺れ、ドラッグに手を出すという同じルートを辿るはずだ。しかし現実にはそうではない。アドラーは百年も前の、オーストリアの医者だから、もちろん現代の日本に住む私たちに当てはまらないことも多々あるだろう。しかし、アドラーの目的論は非常に慧眼であったと思う。

精神疾患に限らず負の感情(主に怒り)も、目的のために行使される。例えば、怒りというのは”衝動”の産物、抑えられないものではない。性犯罪が”本能”の産物ではなく、支配欲求に基づく暴力であるように、怒りも場面や相手によって使い分けられる。例えば、部下に怒りをぶちまける上司が、そのまた上司に向かって”我慢できずに”負の感情を爆発させることはほとんどない。子供に当たり散らしていた母親は、電話口に出た途端丁寧な口調になり、電話が切れるなりまた怒りだす。

つまり人は理性を失って爆発するのではなく、理性に基づいて”いつ””どこで””誰に”怒り、相手を打ち負かして優越感に浸るかを考えてから怒りを行使している。相手を完全に屈従させ、コントロールし、打ち負かし、敗北感を味わわせるために負の感情を使う。そして、このような怒りの爆発の裏には、往往にして強い劣等感や、劣等コンプレックスがある。自分を強く信じているひとは、自分を大きく見せる必要がないが、劣等感があるひとはいつも虚勢をはる。虚勢をはり、自分は強いのだということを証明し、相手を打ち負かし、従えようとする。怒りというのはその過程において行使されることがよくある。

私自身も、相当な我儘で、ちやほやされて育ったので、かなりイラつきやすいほうなのだが、こういった原理をふまえておくと、イラッとしたとき、ああ自分はすべてをコントロールしたいのだな、と自分を省みることができ、冷静になれる。そもそもコントロールできることなどほとんど世の中にはないのだから、自分の思い通りになるように、と思う方がバカなのだが、癖でついつい出てしまったりする。

”怒り”の定義も人それぞれで、”愛があるからこそ怒るんだ”というひともいるかもしれないが、言葉というものがあるのだから、わざわざ負の感情を付け足さなくても言い聞かせれば十分伝わる。それに、怒りというのは一種の快感なので、自己中心的に使ってひとに当たり散らしてしまったりする。私は、”怒り”を使わない親に育てられたので、世間一般的な叱責に最初は戸惑った。叱責の目的はもちろん、相手を教育するためであったり、仕事の納期を守らせることであったりするはずだが、それが効果を出しているだろうか?私にはそうは見えない。逆に相手を委縮させ、2人の関係を悪化させてしまうだけにみえる。それでも怒ることをやめないのは、本人に相手に仕事のやり方を教える気がなく、相手を屈従させて優越感に浸りたいからだ。まあこういうことを面と向かって言うと火に油を注ぐ結果になるのだが……。
 

診断が困難な斜頚の展望

筋性斜頚というのは生まれつき首の片方の筋肉が繊維・腫瘤化し、患部側に首を傾げ、患部と反対側を向いている状態が恒常化する疾患である。斜頚には大きく分けて先天性と後天性があり、また筋肉が固く線維化する筋性斜頚は、筋肉の硬直を伴わないpostural torticollis,眼性斜頚、先天的な脊椎の変形、周辺組織の炎症、痙性斜頚といった後天性斜頚と区別されなければならない。(Outcome of Surgical Treatment of Congenital Muscular Torticollis–Jack,C.Y.Cheng, MBBS; and S.P.Tang,MD)

筋性斜頚では通常腫瘤が患部の胸鎖乳突筋に最初あらわれ、成長と共に消えていくが、この腫瘤がない場合もあり、その場合と、筋肉の拘縮を認めないpostural torticollisの患者の方が予後がよく、特にpostural torticollisでは手術を必要とするケースはほとんどないというがある。

原因に関してははっきりしていないが、Dr.C.Y.Chengによれば、難産、局所貧血、静脈の閉塞、胎位の異変、体格や成長の阻害、感染性筋炎、神経系の異常によるものなどが類推されるそう。海外では筋性斜頚の診断がおりた時点で(多くは新生児)理学療法を開始するのが通例だが、日本では放置することになっている。理学療法をしても改善がみられなかった場合は、およそ1-4歳で患部を切断し、筋肉の一部を摘出する手術を行う。

手術は通常電気メスを用いて鎖骨の上2センチ程度の高さで、胸鎖乳突筋の胸骨側の足と、鎖骨側の足を完全に切断し、必要があれば1-2センチ程度筋肉を摘出する。(胸鎖乳突筋は耳の後ろの乳様突起からスタートし、二股に分かれて鎖骨と胸骨で終結する筋肉である。首の中で最も体積の大きい筋肉であり、首の廻旋運動と平衡感覚を主につかさどっている)もしもこの処置で十分でない場合、例えば斜頚の程度がひどかったり、手術時の年齢がいっていたりした場合、上記の処置をした後に乳様突起付着部も切断する。Chengによればかなりひどかったケースにおいて筋肉の全摘出を必要としたらしい。

一般的に予後は、手術時の年齢が上がるほどよくない。手術の適齢期は1-4歳という見解が多い。12歳を過ぎると斜頚に伴う顔や頭の変形は元に戻らなくなるという研究がある。しかし多くの研究で年齢がいっていたとしても手術は十分に効果的であるとの結論が出ている。顔面の変形は戻らなくても、拘縮による筋肉の慢性痛や見た目の改善に繋がるということだ。手術後はコルセットの着用を1-2ヶ月、活発な理学療法を続けることが筋肉の再癒着を防ぐのに効果的だと多くの研究者はいう。

なぜこういう専門的なことをつらつら書いているかというと、筋性斜頚をきちんと診断できる医師が一向にいないからだ。斜頚は年齢に伴い悪化する場合があるという指摘もあるからそういうケースだったのかもしれないがまずあきらかに首が変な写真があったのに一歳児検診で発見されなかったのがおかしい。親が気付いていたのに病院に連れていかなかったのもおかしい。

小学生のころは無理くりまっすぐにしていて、傍から見て気付かないくらいだったが、成長と共に体が重くなって、中学生頃から慢性的に首と肩と背中が痛み、更に項靭帯にMPSを発症し、そのころから起きていることが辛くなった。学校は休みがちで、高校も後半はほとんど行けずにずっと寝ていた。斜頚で寝たきりになることはないが、斜頚が原因のMPSがかなり酷く、人の話し声さえ痛みに直結するような日々が何年も続いた。MPSを治療する東京のペインクリニックで、MPSの原因は斜頚だとはっきり言われたが、そもそも筋肉が原因で痛むという概念が医学界に浸透していないため、整形外科でその痛みを斜頚が引き起こしているので、程度がそんなに酷くなくても治療してほしいといっても首を傾げられて終わった。地元の病院という病院を周り、東京にさえ行ったがほとんどの医者の診断は神経系の異常により斜頚がおこる痙性斜頚で治療法はボツリヌストキシンの注射しかないとのことだった。痙性斜頚は痛みが伴ったり、その日によって硬直具合が違ったりといった特徴がありそのどれにも自分は合致しなかったが、一応ボツリヌスを受けてみた。そして悪化した。嚥下障害を併発して二週間で3キロ体重が落ちた。首の筋肉が悪いと嚥下障害になるというのは東洋医学的見方だが私にはまさにそれがあてはまることをその注射によって再確認した。

というのも、注射は筋肉を柔らかくする成分が入っていて、注射後大体2週間あたりから効いてきて大体3カ月で効果が切れるというものなので、筋肉を弛緩させ、喉元のコントロールがきかなくなった。これは本当の痙性斜頚の人にも現れうる副作用だが、考えてみれば私は、それが当たり前と思って育ってきたから疑問に思わなかったが、生まれてこの方ずっとものが飲み込みにくく、特に液体と固い物が苦手で、飲み込むたびに空気を一緒に嚥下してしまうことが多かった。多いというより何かを呑みこむときは必ず一緒に空気を呑む。意志の力でどうこうできるものではない。唾を飲むときでさえ空気が入るので胃腸は常に膨満していてガスが上からも下からも出放題で、というか出さないとお腹が苦しくなり、それで公共の場ではいつも苦労する。また胃の膨満により、例えば加活動だった日(つまり通学した日だが)、ストレスフルなイベントの後はご飯を受け付けなくなる。それが顕著だったのが筋筋膜性疼痛症候群の治療で東京にしばらく遠征したときで、土地勘がない場所を延々と歩くので非常にお腹が空いて、というかほとんど飢餓状態で何か食べたいのだが胃にガスがたまっていて食べられずにあばらが浮いた。ガスのたまった胃の厄介なところは、体は栄養を欲しているのに胃が膨らんでいるため、ある時点までは空腹感が全くないというところで、空腹感が出たときには時すでに遅し、ほとんど餓えている状態。家から出ずに済むときはいいが、活動するときには、だから細心の注意が必要だ。飲み物は特に多く空気を呑みこんでしまうものなのであまり多く飲めないから、常にカロリックなものを呑むようにして、食べ物もなるべくカロリーがあるものを選ぶ。野菜は生野菜は避けて煮物を、ご飯ではなくパンを食べるようにすると結構いける。

半年前まで非常に酷かったMPSは、腕のいい鍼師の先生の治療とSNRIサインバルタの服用によりかなり改善し、おかげで斜頚の病院巡りや嚥下障害についての考察がはかどった。

人は生まれ持ったものに疑問を抱かないものだ。特に親が疑問をもたなければなおさら。生まれた時に授かった病気、それに伴うもろもろの症状に成人するまで気付かないなんてことありえないだろうと思っていたがそれが自分だった。私の家庭は、「病気で母親に手間をかけること」がよしとされない場所だった。喘息で咳をすれば体調管理がなっていないとなじられた。そういうなかで一体だれがありのままでいられるだろう。斜頚だったら見たらすぐ分かるはずだ、みんなそう思う。私もそう思っていた。自分は首がまっすぐにできるんだからそうじゃない、いままで誰にも首が曲がっていると指摘されたことがないんだからそんなはずない。でも体はそんなに簡単じゃない。人間はそんなに単純にできてない。私は確かにまっすぐにすることはできた。今もできる。誰にも斜頚と気付かれずに歩くことができる。でもまっすぐに”できる”のと自然にまっすぐなのは決定的に違う。私は首を真っすぐにするためには努力と代償が必要だ。痛みという代償。それが健康な人と病人の違いだ。

自分が自分でいられない場所で育っていつも首をまっすぐにし続けた。夜は必ず右を向いて、左手を上げてねる生活。それが普通だと思っていた。そして痛みの嵐が直撃した。そしてかわいそうな子供は痛みの嵐さえも”普通のこと”皆経験していることだと思い込んだ。毎日が地獄になった。子供は短気になり、怒りっぽくなり、途中で物事を放り投げることが得意になり、そのことでなじられた。しかし誰が予測できただろう。その子供の体の内側にはいつもいつもトゲがあって、それが飽くことなく彼女を苛んでいるのだという事実。その子自身さえ知らなかった。「こんな痛みは大したことない」「みんなこれに耐えている」「あまりうるさく言うと親が嫌がるから言わないでおこう」「医者も多分この問題は解決できない。これはもっと深くて複雑な頭痛だ。ただの頭痛じゃない」

「つらい」

「悲しい」

「逃げ出したい」

「ここから逃げ出したい。どこか遠くへ行きたい。」

人生疲れた。終わらせたい。際限のない苦痛を終わらせたい。

その子供は私。

人生に疲れ切り、老婆のように体を引きずる子供はこの私。

人間関係に疲れて、体に疲れて、人生が真っ暗でどうしようもなかった。その時になぜ生き抜けたかというと食い意地がすごく張っていてこれを食べずには死ねない食べ物リストが膨大だったからだ。私は自分の食に対する欲深さが好きではないがそれ故に生き延びたのではないかと類推している。

どんなことも中途半端な子供を見ると自分を思い出す。その子に巣食っている闇を類推する。

 

私は病を天からの贈り物と考える。それは私を苦しめたが、私には苦しむに値する要素も、苦しみを乗り越える力もあった。

 

なぜ多くの医者が、特に筋性斜頚の名医と呼ばれる医者が誤診をするのかこれからつきとめていく。

路上での(主に男性から女性への)嫌がらせ、舌うち、過剰な接近、脅しかけについてとその他もろもろ

今年から大学に入ったので忙しくてすっかりブログを放置してしまっていた。楽しみにしてくださっていた方(いるかどうか分からないけども)ごめんなさい。今回は長らく悩ませられてきた公共空間での男性からの嫌がらせ行為について書きたいと思う。

物心ついたときから、男性と空間を共にすることは不愉快でプレッシャーのかかる経験だった。電車、病院、路上、店などの公共空間で、私は常に男性から嫌がらせに遭ってきたし、今もそうだ。まっとうで品がある男性には非常に申し訳ないが、”男性から”と言うのには理由がある。それは、男性からしか嫌がらせを受けないからだ。日々付きまとわれ悩まされるそれは、必ずしも性的なものではない。性に根ざして嫌がらせが行われていることは明白だが(男性が男性に、私にするような嫌がらせをしているのを見たことがない。”嫌がらせ”とは、例えば舌打ちとか、凝視とか、あからさまな貧乏ゆすりとか、意図的な過度な接近とか、唸り声を上げたりだとかである)、首都圏に住まない私は電車内で不本意に触られるという性的攻撃を受けることはないし、飲み会とかサークルとかに参加しないインディペンデントな生活を送っているので、あからさまな性的攻撃とかにあうことは、今のところは少ない。せいぜい夏期に胸元を凝視されるくらいだし、そういう不愉快な視線を視界から外せばよいだけだ。

多くの男性は、自分が私を凝視しているのに、見返されると腹を立てる。自分は視る者であり、若い女は視られる者、自分は支配者であり、相手はそれに従属するもの、とでも思っているかのようだ。何度も繰り返すが全ての男性がそうではないし、人間性の成熟という点において、性別は関係ないことも分かっているし、私はマンヘイターでもない。しかし、マンヘイター(男嫌いの意)になりたい要素は日常にてんこもりだ。

さまざまな経験、筋肉の病気などを通して私は以前よりも図太くなり、男が怖いとはもう思わないが(何せ彼らが私に与えられる苦痛以上の苦痛を十年以上毎日毎日経験させられてきたのだから)ただ不愉快だし、公共空間、特に電車などに乗るのはおっくうである。以前カナダを旅したことがあったが、そこから帰国して一番初めに目に付いたのは、日本の男性の品の無さだった。遠慮の欠片もなくくしゃみはする、道も席も譲らない、女などが邪魔な位置にいようものなら舌打ちして睨みつける、女性店員に説教をする、などなど、数え上げればきりがない。基本的に公共空間で男性の思いやりを見たことがない。そうじゃない人もいるだろうが、多くが女性を踏みつけ、搾取し、うっぷんの捌け口にしようとする。フェミニズムにおいて女性は”セカンドシティズン――二級市民”などと称されたりするけれども、私の感覚では女性は、この国において、私の住む地域において、二流市民ですらない。家畜、ゴミ箱、虐待のためのターゲット。いや、少なくとも家畜は虐待されたり嫌がらせをされたりもしないから、家畜未満だ。

私は、女性は相当にこれで悩んでいると思う。比較的リベラルで女性問題に関してはまともな父親をもち、経済的に恵まれ、筋痛症というハードな経験を通して図太くなった(私は筋痛症を、その激烈な痛みともろもろの葛藤、人間関係の崩壊、周囲の無理解による苦悩の存在にも関わらず、最近天からの恩恵であったと考えるようになった。痛みを患う前の自分はあまりにも弱く、傲慢で、女性差別的で、自信がなく、男性から女性への虐待を正当化していたからだ。もし筋痛症がなければ、私は人を傷つけ、日々の男性からの嫌がらせの中で疲弊しきって生きていくことができなかっただろう)私でさえ、公共空間に長く晒され、嫌がらせを受けた後は深い鬱状態に落ち込む。まともな人もいる。でも、この国の差別的構造はあまりに根深く、過酷で一人で受け止めるには大きすぎる。

一つ確かなことは、そのような攻撃を行う者や、女性に対して暴力を行使する者は、相手の身体は壊せても魂は絶対に壊せず、その報いを確実に受けるということだ。弱い者に対しての暴力が野放図にされている環境で自分を保つのは難しいことだ。聖書から引用をとると”滅びに至る門は広く、正しき場所への道は狭い”だ。聖書を全て信じるわけではないが、いい引用が結構あるのでたまに読んでいる。もっといえば、精神的につらい時に救いになることもある。

とにかく私はこの過酷な環境から抜け出したい。ツイッターのハッシュタグ「日本を脱出したい女子会」などからもみうけられるように、海外脱出を望む女性は少なくない。そしてそれは女性に限定しないかもしれない。あまりにも急激に経済的に発展し過ぎたこの国のひずみに苦しませられる人々は少なくない。ダメになったら別のことを試してみればいい。トライしてトライしてトライすることが、成功への鍵だ。私は未知の病気をつきとめるために他の人が一生で訪れる位の回数医者を訪ねた。そして原因を見つけることに成功した。だからもうきつくてきつくてダメそうな方に、トライを重ねればきっと道は開けると伝えたい。”求めよ、さすれば与えられん。門を叩け、さすれば開かれる”だ。未来への扉を連打し続ければ、私たちはいつかきっと幸せになれると思う。

 

エベレストで遭難死した夫婦の”作られたストーリー”を検証する—日本語の情報の正確さの限界と事実の歪曲

日本語の情報というのは限られている。ネット上でも他の新聞、テレビ、雑誌などのメディアでもそれは同じだ。なぜかというとその言語の使用人口が少ないからだ。それはどの母国語も似たり寄ったりで、今最もインターナショナルに使われている言語は英語、スペイン語、使用人口が多いのは中国語だろう。英語はほとんど世界共通語になっていて、アメリカ、オーストラリア、イギリスなどの英語圏はもちろんのこと、多くのヨーロッパ諸国やアジア、中東などで第二言語としての教育を行っている。だから英語に少しでも通じることは、より正確でより多い情報を収集するのに役立つ。
今回はその例がエベレスト登頂に関する話でみられたのでメモしておこうと思う。最近、らばQさんの(主に英語圏のニュースや掲示板での話題を和訳して載せてくれているサイト)記事「10年前にエベレストで亡くなった女性を埋葬しにいった登山家」を見てからエベレスト登山中の遭難事故に興味を持ち始め色々とググっていた。中でもらばQさんの記事でも取り上げられていたFrancys Arseniev, Sergei Arseniev夫妻の悲劇は英語圏で有名なようで、多くのサイトがこれを取り上げていた。AlteredDimensions.netのDead bodies abound on Mount Everest(閲覧注意)という記事ではこの夫妻のことを取り上げてこう記している。

下山途中に滑落したアメリカ人女性のFrancys Arsenievさんは道ゆく登山家たちに置いていかないでくれと懇願した。彼女の夫は山の急斜面をおりているときに彼女がいなくなったことに気づいた。彼女を助けに行ってその後ベースキャンプに戻るだけの酸素がないことを知りながら彼は彼女を探しに行くことに決めた。彼は彼女を探して下山する途中で死んだ。二人の別の登山家はFrabcysさんのところにたどり着いたが、彼女を助けることはできなかった。彼女をおぶって下山することはその登山家たちの命をも危険に晒したからだ。彼らは彼女を慰めそして下山した。彼女はそこで死んだ。
その登山家たちは非常に罪悪感を感じて、その八年後に彼女の体をアメリカの国旗で覆うために再びエベレストに登り、それを達成した。
彼女の悲劇的な話が知られるにつれ、彼女がアメリカ出身の女性で初めて無酸素登頂に成功したことが認識された。

ウィキ英語版のFrancys Arsenievのページにはこう書いてある。

Francys Arseniev (1958年1月18日-1998年5月24日)はアメリカ人女性で初めてエベレストに無酸素登頂を1998年5月22日に達成した。彼女はその後下山途中に死亡した。

登山歴: 1992年にヤーブロ(フランシスの旧姓) はセルゲイ・アーセンティエフと結婚した。彼らは多くのロシアの高峰に登頂した。彼らは西壁経由で5800mマッキンリー–彼らはそれをピークグッドウィルと名付けた—に登った。アーセンティエフはアメリカ人女性で初めてElbrus山をスキーで滑り降り、更に西と東の両方の山頂に登った。この時、彼女は、エベレストを酸素ボンベなしで登頂した最初のアメリカ人女性になりたいという夢をふくらませていた。

登頂への最初の試み: 1998年5月、フランシスとセルゲイ夫妻はエベレスト山のベースキャンプに到着した。5月17日に北の鞍部にむけて出発し、翌日7700m地点に到達した。同じ日に他の21人の登山家が北からのルートで登頂していた。5月19日、彼らは第六キャンプがある8200m地点まで登った。セルゲイは無線で、彼らはいいコンディションで5月20日の午前1時に頂上へ向けて出発する予定だと告げた。5月20日、第六キャンプで夜を過ごしたあと、彼らは登頂を開始したが、ファーストステップ(標高8564mにある頂上付近の隆起した岩場の最初のひとつ。全部で三つステップがある。図はこちら) 付近でヘッドライトが壊れたため引き返した。5月21日、50-100mほどだけ登って引き返し、彼らは再び第六キャンプに戻ってきた。

登頂とその後: 二回の登頂の試みの失敗のあと、彼らは5月22日、最後の挑戦をはじめた。ひどく高い標高にも関わらず酸素ボンベを持っていなかったため、彼らの動きは遅く危険なほど遅い時刻に頂上に到達した。(夜になるまでにキャンプに戻るためには遅くとも午後二時までに下山を開始する必要がある) 結果として彼らは標高8000mでもう一晩過ごさなければならなくなった。夕方の間に二人ははぐれてしまった。セルゲイは翌朝キャンプに着いたが、妻はまだ到着していなかった。彼は妻がいまだ危険なほど高い標高にいることに気づき、彼女を探し出して酸素ボンベと薬を届けるために出発した。
このあと何が起きたか詳しいことはあまりわかっていないが、一番もっともらしい話は、23日の朝にフランシス・アーセンティエフは頂上から数百メートル下を、登頂しているウズベキスタンの登山団と遭遇したことを示している。彼女は半ば意識を失い、酸欠と凍傷に苦しんでいた。彼女は動けなかったので、彼らは彼女に酸素を分けてやり、できる限りの力で彼女を運ぼうとしたが、彼ら自身の酸素がなくなり、疲労して続けられなかった。
ウズベキスタンの登山団がその日の午後キャンプに向かって下山しているとき、彼らはフランシスを助けに行く途中のセルゲイ・アーセンティエフと会い、それが彼が生きて目撃された最後だった。

死: 24日の朝、イギリス出身のイアン・ウッドアル、南アフリカ出身のキャシー・オドウドとそのほかのウズベキスタン登山団は登頂の途中でフランシスと遭遇した。彼女は昨夕方と同じ場所にいた。セルゲイのピッケルとロープがそこにあったが彼はどこにもいなかった。ウッドアルとオドウドは登頂を諦め一時間以上に渡って彼女を助けようとしたが彼女は弱り切って、足場は危険で、非常に寒かったので断念せざるを得ず彼らはキャンプに向かって下山した。その後彼女は横になってガイドロープにくくりつけられたまま死んだ。彼女は40歳で、一人の息子がいた。
フランシスの夫の謎の失踪は翌年、マラリー・イルビン探検隊のメンバーであるジェイク・ノートンによって明らかにされた。彼はセルゲイの死体が山肌の下の方にあるのを発見した。明らかに妻を救出しようとして滑落死したようだった。

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フランシスさんと最後にあったオドウドさんへのインタビュー記事、「’Don’t leave me here to die’」がガーディアン紙Web版に掲載されている。彼女は登頂を望むスポンサーの存在、自分自身の野望を脇へ押しやり、弱り切ったフランシスさんを助けようとその場にとどまった。フランシスさんはすでに重度の凍傷にかかり、顔は陶器の人形のように白く、ジャケットを脱いでいた。(重度の凍傷では体が暑くなる現象がおき、これだったのではないかとオドウドさんは推測している)受け答えもままならず、半ば意識を失い、立たせようとしても彼女の足はスパゲティのように役立たずだったという。酸素をあげようにもスペアのマスクがなく不可能だった。同じチームの男性2人がかりで彼女の体勢を直そうとしたが彼女は重すぎ、座らせようとするだけでも2人の息が上がり、彼女を運んでキャンプまで戻るには何日もかかることをそのときに悟った。彼女は置いていかないでくれと言ったが既に一時間以上その場にとどまった一向は寒さに凍えて下山するしかなかった。オドウドさんはこの一連の出来事で非常に動揺し、特に相手が自分と同じ女性だったことから気の毒に思ったという。オドウドさんはいう。

It was harder for me because she was female. It is not that I thought women immune to the risk, but it was such a male-dominated environment. Everywhere you turned, everyone you talked to was male. I climb because I enjoy it. I climb for the pleasure of the activity, of the surroundings. There was no pleasure left. I wanted to be down, to be off the mountain, to have both feet on flat ground.

‘Don’t leave me here to die’, theguardian

彼女が女性だったのでその出来事はより辛いものとなった。それは私が女性が危機を免れられるとおもっているからではない。それは、登山というものが非常に男性支配的な世界だからだ。右を向いても左を向いても話す相手は男性ばかり。私は単純に楽しいから登っている。登山そのものや周りの環境が気に入っているから登る。だが今回は楽しくなかった。私は早く下山し、山を出て地面に足をつけたかった。

インタビューの中で彼女は自分の目的達成への野望と、目の前の瀕死の登山家の間での葛藤をこう語っている。

Should we throw it all away for some rescue attempt that was doomed? The body was lying in a ghastly inverted V. It looked as if the climber’s spine might be broken. If they couldn’t walk they were probably condemned. Why waste time, stand around getting cold and demoralised, when the attempt was futile? Why not just turn away and climb on? This all ran through my head in the space of a few seconds. But all the debates, the issues, the logical analysis were useless. I simply could not do it.
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およそ成功の見込みのない救出のためにすべてを投げ出していいのか?その登山家の体はおかしなv字型にひっくり返って転がっていて脊髄を損傷しているようだった。もし歩けなければ死ぬしかない。無駄な試みだとわかっているのになぜ私はここでこうして突っ立って、弱気になって凍えて時間を無駄にしているんだ?引き返して登頂を継続しよう。………これらの考えが一瞬のうちに私の脳裏をよぎった。しかしすべての脳内の議論、論理的分析は役立たずだった。私は単純に彼女を見捨てられなかった。

彼女は結局フランシスを救うことも登頂することもできなかったが1999年に登頂をはたし、北ルートと南ルートの両方からエベレスト登頂をはたした最初のアメリカ人女性となった。
エベレスト登頂は死と隣り合わせである。頂上付近の酸素濃度は平地の三分の一であり、高山病はもとより零下数十度の寒さ、吹雪、危険な足場からの滑落、雪崩が登山家たちを襲う。昔に比べ死亡率は減ってきているらしいがそれでもエベレストに登った人の1-2%は命を落とす。無酸素登頂を試みた夫妻もこの中に入ることとなってしまった。前置きが非常に長かったのは十分なソースを示すためだ。このアーセンティエフ夫妻のことについて書かれたであろうある記述が非常に気になった。まとめサイト「【閲覧注意】遺体が目印!デスゾーン”Death Zone” エベレストに眠る登山者」に載っていた、Zooey’s Diaryというサイトで誰も助けることのできない「落ちこぼれてエベレストという記事で紹介されていた本「落ちこぼれてエベレスト」(野口健著)からの引用文である。

”かつて、チベット側からこの山の登頂を目指したロシア人の男性と
アメリカ人の女性のカップルがいた。山頂を目前にして妻が力尽き、
「私はここで待っているからあなただけでも登頂して」と夫を見送った。

“夫が登頂して妻の所に戻ってきた時には、妻の両足はすでに凍傷でやられていて、
一歩も歩けない状態だった。上半身は何の問題もなく、意識はしっかりしている。
(中略)日が暮れ始め、夫はどうしようもないことを悟り、そこからジャンプしたという。
妻の目の前で自らの命を絶ったのだ。その夜、妻は凍死した。

セルゲイはとフランシスのことではないと思いたいがそうだと仮定して話を進める。(セルゲイは名前からしてロシア人、フランシスはアメリカ人だという表記がはっきりあり、2人はカップルで、妻が動けなくなり、2人とも死亡したところまで話があっている) まず登頂の途中妻が力尽きたのではなく、下山中に2人ははぐれている。よって妻は「わたしはここで待っているからあなただけでも登頂して」とはいっていないし夫も妻を置いては登頂していない。(フランシスは登頂している) そればかりか命の危険もかえりみず妻を助けに行き、その途中で滑落死した。よって”どうしようもないことを悟り、そこからジャンプ”もしていない。
このような歪曲されたエピソードは一部の日本人の感性には心地よいので、それが広く伝わったのかもしれない。しかしながら私はこのような事実のねじ曲げは性差別的観点に加え(もし動けなくなったのが夫だったとしたら妻は見捨てたであろうか……) 死者を冒涜するものだと思う。セルゲイは命にかえてでもパートナーをたったひとり救出にいった非常に愛情深く、勇敢で、情があり、他己的な人だったのに、”ストーリー” では相手を見捨てて登頂し、すべてを投げ出して死んだ人間になってしまった。これはセルゲイに対してあんまりな仕打ちだとおもう。ソース元の本を読んでいないので確かなことはわからないが、このような作られた”ストーリー” は是正されるべきだと強く思って記事を書いた。

妻や女の恋人を足蹴にし、踏みつけ、従わせ、荷物を持たせ、支配するのが男らしいというひともいる。そういうひとはそれは愛があるからそうするのだという詭弁をはく。しかしそれは愛ではない。人を傷つけるようないかなるものも愛によっては構成されえない。愛というのは無条件で温かく包み込むものだ。セルゲイさんはまさにその愛の究極の形を体現してくれたとおもう。そんな彼を貶めることなく、安らかに眠らせてあげたいと思う。

不幸な事故で亡くなったフランシス・アーセンティエフさんとセルゲイ・アーセンティエフさんのご冥福をお祈りします。

筋膜性疼痛症候群に使う内服薬メモ2&Happy Rare Disease Day!

–サインバルタ(デュロキセチン塩酸塩,SNRI):これはセロトニン再取り込み阻害薬という抗うつ薬の一種。三環系の抗うつ薬よりも新しく開発され、その副作用も少ない。慢性疼痛疾患の患者にも適用があり、うつ病の治療だけでなく疼痛軽減に利用されるらしい。地元の心療内科に行って、正直に痛みのことを話してみたらこれが効くと思うといってもらった。日本では糖尿病性神経障害とうつ状態にのみ適応とのことだが、アメリカでは繊維筋痛症への適応がある。私がサイトをいろいろ調べた限りでは繊維筋痛症(以下FM)にきく薬が必ずしも筋筋膜性疼痛症候群(以下MPS)にきくわけではなく、逆もまた然りである。たとえば、非ステロイド系消炎鎮痛剤はMPSにはきくがFMには効かない。そういう経緯があってSNRIのサインバルタには懐疑的だったが、調べ直してみると慢性疼痛の治療に様々に応用されているらしく、まあまあ効果があるのかもしれないと思い始めた。しかし使ってみた感じはより症状が悪化した。どうも神経を興奮させる作用があるから、先日のカフェインと同じように中枢神経過敏を引き起こしてしまったのかもしれない。今日20mgを夕方服用したばかりなので長期的に服用すれば何か変わるのかもしれない。しかし薬についてググってみるとかなり薬をやめたときの離脱症状に苦しんでいる人が多いようだ。また減薬に消極的な医師も結構いるもよう。私は処方の際に離脱症状について一切説明がなかったし必然的に減薬のプランへの言及もなかった。つまり薬漬けのルートだ。したがって、これ以上服用を続けるのは好ましくないだろう。早い時点で気づいてよかった。
対して疼痛軽減効果もなかったし、どころかちょっと増したし、減薬のプランがないままこれ以上続けるのはよくない。そして次は、少なくとも繊維筋痛症を取り扱っている病院に行くべきだということがわかった。うつではないのだから服用量も違うかもしれないし、MPSについても知っているかもしれない。
FM、MPSは現代医学から見捨てられた病気といわれている。従来の検査方法で体に異常が出ないからだ。それでも患者は痛い。FMの疼痛レベルは、ひどい人だとガンの末期の痛みと同等といわれている。そういう痛みを抱えながら医者に「異常なし」といわれる苦しみは想像を絶する。私は中学生から自殺企図があり、今もしばしばそれは出る。それは私が精神障害だからではない。それは私が弱いからではない。うつ病だからではない。それは、朝も昼も晩も続く酷い疼痛のせいだ。もし私がうつだったとしても、それは痛みに起因している。うつだから痛い気がするのではない。痛みは私の想像上のものではない。ここにあるのだ。捻挫よりも腱鞘炎よりも緊張型頭痛よりも偏頭痛よりも深くてえぐるような痛みが常に私を苛み続ける。ベッドから起きるのが困難で、もし夕食を作れば風呂諦めなければならないくらいの痛みがいつもずくずくと首と頭を刺す。寝ても覚めてもそれは去って行ってくれない。友達からのメールも返せない。本も読めない。テレビも見れない。携帯もだめ。座っているのも立っているのもだめ。寝ているしかない。ひどい時はそういう痛みが何日か続く。そういう生活で明るく元気な精神でいられる人がいればお目にかかってみたいものだ。
FMMPSなどの認知度の低い疾患はもちろん、世の中には外から見えない病気や障がいを抱えた人がたくさんいる。そして今日は”難病の日” 。認知度の低い疾患やレアな疾患、難病の人たちのための日だ。難病の仲間たち、あとちょっとだけがんばろう!!

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昨日はサインバルタ疼痛を軽減しないって書いたんだけど一晩明けてみたら結構効いてきた。遅効性なのかもしれない。色々ググっていたらMPSでサインバルタ服用してる人がいた。一般的に抗うつ薬はいろいろな慢性疼痛にきくようだ。その他MPSの掲示板では抗てんかん薬を飲んでるひともいた。だからほんとうにきくのか確認と、離脱症状のリサーチが済んだ上で服用しようと思う。一日だけ20mgを服用しやめてみたが離脱症状はなし。しかし長期に渡って服用すれば辞めるのが辛くなるだろう。服用をできるだけ少量にし、医者に減薬のプランを聞いた上でのむのがベスト。医師が減薬に非協力的な場合病院を変えるか市販のカプセルを買って自主的に減薬するのがいいだろう。薬漬けは肝臓や腎臓に負担になるからしようはさいていげんにしたほうがいい。

(サインバルタがMPSの疼痛軽減に役立つかどうかの実験)
ちゃんと効果があるのか試したくて実験し始めた。まず昨日の晩(3/1)からのむのをやめた。離脱症状はなし。(離脱症状:薬をやめる際に出る副作用のこと。サインバルタの場合めまいや頭痛や脳が揺さぶられるような衝撃がすることがあるらしい。幸い一日しか服用しなかったのでそのような症状は出なかった。離脱症候群には適切に服用量を減らして行くことが肝要らしい。これは医師の仕事) 一昨日の夜(2/28/14)飲んだ時は疼痛軽減効果について懐疑的だった。正直気分がどうしようもなく落ち込んで、そちらの理由により飲んだといったほうが正しい。落ち込んだ出来事は斜頸の病院めぐり関係なのだがそれはあとで書くとして割愛する。とにかく飲んだ直後はむしろ痛みが増したがだんだんよくなっていった。NSAIDのイブに比べて効き目はマイルドな感じ。痛みスケール5-7/10。イブでは全く痛みがない時間があったがそれほどではない。しかし痛みスケール5-7/10というのは十分な効き目だ。あまり無理をしなければ起きて作業ができる。外出しても再起不能にならない。痛みで眠れないこともない。消炎鎮痛剤というのは頓服薬で長期に渡って飲むことを想定されていないから強い。安易に飲み続ければ身体を壊す。(慢性頭痛で痛み止めを飲み続けて痛風になってしまった人を知っている) SNRIのような抗うつ薬ももちろん副作用はある。しかしうつ病というのは慢性病でそれゆえ長期の服用が想定されているからあまり体にダメージを与えないよう作られている。(はず) そういう理由で疼痛抑制に三環系の抗鬱薬を求めていたが、この際SNRIでもききさえすればいい。抗鬱薬にはかわりない。それで本当に効果があるかどうか昨日から実験している。
今日(3/2)になってめきめきと疼痛レベルが7-9/10へ進んだ。買い物に行っただけでほとんどベッドから出られなかった。特に外出の後は、ほとんど我慢できない痛み、疼痛レベルMAXの10へ移行し(野球の硬球が当たったときくらいの痛み) 心身共に憔悴した。今日は寒く雨が降っていたからその影響の可能性もあるから明日まで実験を継続することにした。この疼痛の増加が天候によるものなのかサインバルタをやめたことによるものなのか見極めたい。

(3/3/14,実験2日目)
今日は天気が良かった。やはり天候の影響で昨日より活動した(サインバルタ入手のための精神科で3時間も待った!天気が良くて幸い。雨だったら再起不能でブログの更新もできなかっただろう) にも関わらず疼痛レベル6-8.5/10でぎりぎり9に乗ることなく外出を終えることができた。
個人的に作った疼痛スケールは0-10で、だいたい次のように規定している。

0:痛みが全くなく気分爽快。なんて素晴らしい日なんだ!
1:ちょっと疼くような痛みがあるけど気にならない
2:ちょっと不快だなあ。でも他のことをやってれば忘れる。
3:結構はっきりした痛み。ナイフで手を切ったときみたいな。日常の活動にほとんど支障がない。やりたいことがだいたいできる。就寝時間以外は横にならなくていい。
4:不快感が増してきた。すでにあざになってるところを押されるかんじ。
5:ごまかしようがない痛み。痛みで心拍数が上がるのがわかる。食事、勉強、掃除、買い出しなどは一通りできるがスポーツはできない。就寝時間以外に2-3時間程度横になる必要がある。
6:捻挫、ひどい緊張型頭痛偏頭痛くらい痛い。痛みでイライラする。だれか今すぐこの痛みをどっかにやってくれ!
7:痛みが酷くて気分にまで障がいをきたして感情が揺れ動く。起きている時間の半分から三分の二は布団。
8:この辺りから危険領域。痛みでイライラ、落ち込みが激しい。記憶力と集中力が極度に低下する。(今先の会話の内容を忘れる、知っているはずの単語を忘れる、口調がたどたどしくなる、今日何を食べたか何をしたかを忘れる) 中枢神経過敏も起こってきて光音匂いで痛みが増悪する。外の光、車の音が怖い。
9:ほとんど泣いている。痛くて一日ベッドから出られない。あらゆる光と音を遮断しなければ想像を絶する痛み。痛みで発作的に過食してしまう。絶望感で前が見えない。世の中すべて敵に見える。人に愛想をふりまけなくなり怒っているとおもわれる。ほとんど動けない。トイレにも決心しないと行けない。着替えられない。食事を作れない。ただぼーっと天井を仰ぐだけで一日が終わる。痛みで眠れない(どんなに疲れていようと) この状態が続くと便秘がおこる。
10:MAX。野球の硬球が当たったときあるいは麻酔なしで歯を削るような絶対に我慢できない痛み。頭が真っ白で何も考えられない。心拍数は急上昇して吐き気がする。不整脈もよく起こる。痛みが悪化するのでないたり興奮したりできない。緊張や不安も抱かないよう努力する。神に祈るしかない。誰か助けてくれ!!

昨日と比較すれば明らかに体調はよい。しかしサインバルタ服用時の疼痛スケール5-7/10に比べ、今日は夕方ごろ特に悪化しほとんど10まで進んだ。活動したとはいえ服用時に比べて明らかに痛みが強い。服用時とそうでないときの活動レベルを完全に同じにする実験も今後やらなければならないだろうが、この三日間の簡易実験でサインバルタの疼痛抑制効果がある程度証明されたとおもう。よって本日の夜から再び服用することにした。経過はまた追って書いていこうと思う。

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疼痛抑制に優秀なイブプロフェンの長期服用時のリスクを発見。主に腎臓にダメージがある模様。腎不全、心不全、肝機能障害をもつひと、利尿剤の服用者、高齢者はよりリスクが高い模様。

カフェインと慢性疼痛|過食と慢性疼痛

本日スタバのラテ220mlを摂取したところ、5分以内に疼痛レベルが上がった。前から薄々気づいていたが、カフェインは疼痛を悪化させるようだ。紅茶はほとんど感じたことがないがコーヒーはてきめんにきく。それが理由でブラックはほとんど飲まない。本能的に避けているようだ。

繊維筋痛症や筋筋膜性疼痛症候群などの慢性疼痛疾患は中枢神経過敏症である。これは脳や脊髄が炎症などによって過度に興奮し痛みの信号を通常より多く出してしまう状態のことだ。軟部組織の損傷が長期化したり、または脳の異常などでいくつかの神経回路が興奮状態に陥り、痛みの伝達物質を過剰に放散する。その結果患者は通常は痛みを感じないはずの刺激で痛みを感じたり、同じ刺激でもより多く痛みを感じたりする。これを痛みの閾値が下がった状態という。
痛みというのは本来生きていくのに欠かせないものでだからなのか、他の、臭いなどの刺激が長く続くと人間は慣れるのに、痛みはそうではなく、損傷が長期化するとむしろ悪化する。歯を麻酔なしで削ったときくらいの痛みを常に発するようになる。こうなるともはや生きるための痛みというより痛みに生きることを阻害されている状況だ。
中枢神経過敏症(central sensitization syndrome )の原因はさまざまだが、かかると主に、光や音や臭いや精神的興奮、緊張などによって痛みが増加する。また中枢神経を興奮させるカフェインもよくないようだ。繊維筋痛症の患者はカフェインの摂取を控えるよう勧めているサイトがいくつもある。私は自分の経験から筋筋膜性疼痛患者にもコーヒーの摂取量を減らすことを勧めたい。

追記:中枢神経過敏症という概念は日本ではまだあまり一般的ではないようなので気力と体力があれば英語でGoogleることを勧める。痛みでそれどこじゃないと思うけど、、、

(血糖と慢性疼痛)
私は元々甘党だが前から、痛みが酷くなると特に菓子やパンなどをなぜ発作的に欲しくなるのか、プラスそれらを食べた後しばらく(症状によって回復はまちまちだが数十秒から一時間の間)痛みが緩和されるのか疑問に思ってきた。痛みがひどいと過食症状が現れることは前にも書いたがずっと疑問だった。今回痛みにサインバルタがよく効いたのでその作用を調べてみると体内のセロトニンという快楽物質の濃度を高める作用があるとのことだった。そこでセロトニンがどのような活動をしているときに自然分泌されるかを調べてみた。するとバナナや炭水化物を食べると血糖値が上昇しそれに伴ってセロトニンが放出されるということだった。謎が解けた。無意識にセロトニンレベルを上げて疼痛を軽減させようとしていたわけだ。他に病名も知らないころ試していたのは、じわじわ泣くことだった。じわじわ泣くというのも重要で大泣きすると痛みが悪化するので感動して静かに涙を流す感じがよかった。ゆえにちょっとした事で泣けるようになった。
涙は食べ物ほど効かなかったがそれなりに痛みを軽減したので今後これらとセロトニンの関係についても調べていきたい。ちなみになぜ抗うつ薬のようなセロトニン濃度を上げる薬がFMやCMPなどの慢性疼痛に効くのかはっきりとはわかっていないが効くという報告が多々あるのでアメリカなどで疼痛疾患全般に適応があるとのこと。