女性を眺める/凝視する男性は何によって生み出され、また何を考えているのか?

お久しぶりです。長らく放置してしまってすみません。

この一年間は、小説に取り組んでいたため更新が滞ってしまいました.

またぼちぼちやっていこうかなと思っています。今回のテーマは、「男性から女性に向けられる視線について」です。

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「男性が女性を遠慮なく‘鑑賞する’のはなぜか?」

これまでずっと、電車やバスなどの公共交通機関で、図書館や市民センターなどの公共施設で、路上で、店で、レジャー施設で、男性からの視線を受け続けてきた私は、また、他の女性がそのような視線を受けるのを見てきた私は、なぜこのような現象が起こるのか疑問に思っていた。

男が女を見る、という構図はあっても、逆はない。これはいったい、どういうことなのか?

私自身、そのように見られて愉快な思いをしたことは少ない。‘人をじろじろ見るのは失礼’という価値観の社会に生きているため、それを内面化(その価値を自分のものとして取り入れること)しているし、他の人にもそれを守ってもらいたいと思うからだ。

特に、女性よりも圧倒的に強い経済的・社会的権力をもっている男性からの視線は恐怖すら呼び起こす。男性から女性に向けられる暴力は、街角で、家庭で、絶えることなく、この社会に蔓延しているからだ。

そこで、この不愉快な視線を以下で少し分析してみたいと思う。キーワードは、‘物化:Objectification’ である。

性やジェンダー、LGBTQ問題、人種問題などに鋭く切り込むブログBroad Blogsの管理人、Georgia Plattsさん(Foothill Collegeで社会学と女性学を教えている)によれば、これは、女性の性的物化(Sexual Objectification) による産物とのこと。

では、性的物化とは何か?スタンフォード哲学百科事典(Stanford Encyclopedia of Philosophy) をひくと、

  1. instrumentality: the treatment of a person as a tool for the objectifier’s purposes;

 2.  denial of autonomy: the treatment of a person as lacking in autonomy and self-determination;

3.  inertness: the treatment of a person as lacking in agency, and perhaps also in activity;

4.  fungibility: the treatment of a person as interchangeable with other objects;

5.  violability: the treatment of a person as lacking in boundary-integrity;

6.  ownership: the treatment of a person as something that is owned by another (can be bought or sold);

7.  denial of subjectivity: the treatment of a person as something whose experiences and feelings (if any) need not be taken into account.

Rae Langton (2009, 228–229) has added three more features to Nussbaum’s list:

8.  reduction to body: the treatment of a person as identified with their body, or body parts;

9.  reduction to appearance: the treatment of a person primarily in terms of how they look, or how they appear to the senses;

10.  silencing: the treatment of a person as if they are silent, lacking the capacity to speak.

Papadaki, Evangelia (Lina), “Feminist Perspectives on Objectification”, The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2015 Edition), Edward N. Zalta (ed.), URL=<http://plato.stanford.edu/archives/win2015/entries/feminism-objectification/&gt;.


(訳)

1 instrumentality(道具性): 物化する人の目的のため、当該人物※は道具として扱われる

2 denial of autonomy(自主性/自律性の否定):当該人物を、自律性と意思を欠くものとして扱う

3 interness(不活性):当該人物を、主体性と行動性を欠いたものとして扱う

4 fungibility(代替可能性):当該人物を他の物と代替可能なものとして(交換できるものとして)扱う

5 violability(破られ/侵されうるもの):当該人物は、境界線と統合性を欠くものとして扱われる

6 ownership(所有の概念):当該人物を他の人に所有される物として扱う

(その人は売られ得るし、買われ得る)

7 denial of subjectivity(主観性の否定):当該人物のどのような経験や感情/心情も考慮されない

8 reduction to body(身体への還元):当該人物を彼女/彼の身体、あるいは身体の一部分と同一視する

9 reduction to appearance(容姿への還元):当該人物は主として、容姿、あるいは感覚にどのように訴えかけるかに基づいて扱われる

10 silencing(黙殺):当該人物は、彼女/彼があたかも黙っているかのように、あるいは話す能力がないかのように扱われる

 

※その人(ここでは女性を指す)

 

これらをPlattsさんが言い換えたのが以下

 

  1. a person is seen as existing for someone else’s purposes, who feels a sense of ownership

2. the person lacks agency, autonomy, self-determination and voice
3. boundaries aren’t respected
4. the person’s experiences and feelings aren’t taken into account
5. the person is interchangeable
6. looks are all that matter and the person is reduced to their body, or body parts

Georgia Platts,  What’s Wrong With Objectification?, Broad Blogs


(訳)

1 その人は、その人を所有している感覚のある誰かのために存在しているとみなされる

2 その人には主体性も自律性も意思も声もない

3 相手との境界線は尊重されない

4 その人の経験や感情は考慮されない

5 その人は代替可能である(その人には代えがある)

6 見た目が全てで、その人の価値は、身体・身体の一部に減じられる

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以上が‘人の性的物化’(Sexual Objectification)である。

ここで初めに戻る。男が女を見るのはなぜか?

――彼らは女性を物化して‘鑑賞物’として自らの満足のために見ているのだ。女性を、独自の精神生活や感情をもつ人間としてではなく、物として、自分の目的のために使用する。

魅力的なのだから、見るくらい良いじゃないか、という意見もあるかもしれない。しかし、その考え方こそ、女性の物化という現象が存在することを裏付けるものだ。つまり、女性が見られてどう感じるか――不愉快になるのか、不安になるのか――は全く考慮されていないのである。

そういう人々は、女性を人間として見ていない。彼らは、自分を満たすための道具として相手を‘使っている’のである。

道具には、意思も主体性も感情もない。だから、それらを考慮する必要もないし、傷付けてもよいのだ。

 

今日の日本社会においては、日常のあらゆる場面――テレビやその他の映像媒体、雑誌、漫画、ポスターなど――で、女性は‘性的な物’に還元されている。彼女らは‘聞かれる’のではなくただ‘見られる’存在として提示され、私たちの頭を、女はただ、男の悦楽/快楽/娯楽/愉しみ/満足 のためにのみ存在するのだ、という考えで汚染してゆくのである。

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