月別アーカイブ: 2013年12月

国際的な強かん罪をとりまく刑事司法制度の発展と、現代における定義および夫婦間の強かんについて

日本において、強姦の定義は極度に狭く、曖昧な印象を受ける。そこで、英語版ウィキペディアやその他英語のサイトを見てみて、どのようなことになっているか見てみた。その結果、現代の国際的な流れとしては、よく、日本の刑事司法制度で追及される”合意”についての定義は、日本のそれとはかけ離れるものだった。日本で、強姦に関する文献や資料は少なく限られているが、前に目を通した限りでは、”合意していなかった強力な証拠”が求められるようだ。例えば、身体的な傷や、大声で叫ぶなど。しかし、そのように抵抗して合意していなかったことを示すのは、ごく一部の被害者だけであり、全力で抵抗していなければ合意していたというのは、あまりに偏見にみちた、性犯罪被害者へのステレオタイプを踏襲しているだけであり、ラベル貼りでしかなく、このような制度や味方は被害者を沈黙させる。銀蔵セクハラ裁判で逆転勝訴した岡崎妙子さんのお話(動画;『らせん』根来裕監督・岡崎妙子さんトーク1・被害者からサバイバーへ)でも、裁判官は今だ女性に優しくない判決を下すことが多いようだ。彼女は、地裁で、裁判官に”事実でないことを判決文に含んで言われた”とも話しており、今だ日本の刑事司法制度、法律がいかに性犯罪被害者に無理解であるかという証拠にも見える。一般に、欧米で強かんの訴訟を起こす際には、被害者の合意の有無を証明するための体の傷は必要なく、どのような性生活を送っていたかによって判決が左右されることはないようだ。更に、さまざまな種類の強かんについても認識が広まっている。おそらく、現代の日本で、夫婦間の強かんの訴訟は皆無に等しいに違いないが、(妻は夫の性的要求をいついかなる時も、気が向かなくても満たさなければいけない、という誤った思い込みにより、夫婦間強かんはないことにされている)どんなに親しい間柄であっても、相手の同意を得ない性行為は強かんである、とはっきりウィキペディアに書いてあった。(下記、”婚姻関係における強かん”参照)ウィキペディアは完全ではないかもしれないが、出典が明白である記事だけを取り上げるようにし、正確性を追求した。まず、強かんの定義についてみていきたいと思う。

・強姦の定義

アメリカ発の、性的暴行のサバイバーを支援するサイト、Pandra’s Project。ここは、レイプだけでなく性的虐待、児童性虐待、強制猥褻などの被害者を支援するサイト。まずここでは、「強姦」について述べている。「強姦」の定義については、州によっても違うようだが、大体においてこういうふうになっている。

Generally, rape is  defined as sexual contact or penetration achieved:

  • without consent, or
  • with use of physical force, coercion, deception, threat, and/or
  • when the victim is:
  • mentally incapacitated or impaired,
  • physically impaired (due to voluntary or involuntary alcohol or drug consumption)
  • asleep or unconscious.

What is rape?, Pandra’s Project

一般に、以下に列挙する性行為又は挿入行為を強姦と定義する:

・合意のない 又は

・身体的暴力、強制、欺き、脅し 及び/又は

・被害者が:

・心神喪失状態、精神的に正常な判断ができない状態

・正常な身体機能を有しない(自発的、又は他者から強制されたアルコールや薬物の摂取による)

・眠っていたり、意識がない   場合

また、何を以てレイプとするか、またどのくらいの刑を与えるかは、国や、アメリカにおいては州によってさまざまなよう。まず、2002年、世界保健機構(WHO)はレイプを、

physically forced or otherwise coerced penetration-even if slight-of the vulva or anus, using a penis, other body parts or an object

-Krug (2002). Rapport mondial sur la violence et la santé. Genève: Organisation mondiale de la santé. p. 149. ISBN92-4-154561-5.

「身体的暴力、又はその他の強制力を伴った、ペニスか、他の体の部位による、膣か肛門への挿入(程度を問わない)」

と定義し、2012年にはFBIがレイプの定義を、

“The carnal knowledge of a female forcibly and against her will.”「女性の意志に反して行われた性行為」から、”The penetration, no matter how slight, of the vagina or anus with any body part or object, or oral penetration by a sex organ of another person, without the consent of the victim.”「程度の差を問わない、被害者の同意のない、ある体の部位または物体による、膣又は肛門への挿入行為、または、性器の口への挿入行為」というふうに変更した。[An Updated Definition of Rape (U.S. Dept of Justice, January 6, 2012) ,U.S. to Expand Rape Definition in Crime Statistics (New York Times, January 6, 2012)より] この変更はアメリカのメディアで大きく取り上げられ、CNNは、「U.S. broadens archaic definition of rape:アメリカが旧態依然としたレイプの定義を拡大」という記事でも取り上げ、この変更によって、より正確に性犯罪の統計を取ることができるようになった、と最高法務官のEric Holder氏は述べている。また、ドイツにおいては強姦罪の成立に挿入を必要としない。[参;Smith, ed. by Merril D. (2004). Encyclopedia of rape (1. publ. ed.). Westport, Conn. [u.a.]: Greenwood Press. pp. 169–170. ISBN 978-0-313-32687-5.]

また、英語版ウィキペディア;Rapeによれば、強姦は次のように定義されている。

Rape is a type of sexual assault usually involving sexual intercourse, which is initiated by one or more persons against another person without that person’s consent.

-Rape From Wikipedia, the free encyclopedia/“Rape”. Merriam-Webster/“Sexual violence chapter 6”. World Health Organization./“Rape”. dictionary.reference.com

「強姦とはある人物の同意なしに、1人または2人以上によってその人物に対して行われた、ふつう挿入を伴う性的暴行のことである」

同意がない条件として、暴力の行使、強迫があったり、または被害者の意識がなかったり、正常な判断力を失わせる事象が起きていたり、被害者が同意できるとみなされない年齢だったりすることがあげられている。また、見知らぬ人物からの強姦は通常、知り合いからの強姦よりも珍しく、またある調査によると、刑務所内での男性による男性への強姦や、女性による女性の強姦はよく起きているが、さまざまな種類の強姦(ex:date rape:デートレイプ、gang rape:輪姦、spousal rape/marital rape:配偶者による強姦、rape of children:児童への強姦、prison rape:刑務所内におけるレイプ、statutory rape:法的レイプ、war rape:戦時下におけるレイプ、corrective rape:矯正のためのレイプ<参考:Types of rape from Wikipedia>)に比べて最も報告されることが少ない。また、ウィキペディアによれば、レイプの被害者は、”…can be severely traumatized”そして”…may suffer from posttraumatic stress disorder;”・・・つまり、酷い心的外傷を受ける可能性があり、PTSDにかかるかもしれないとのこと。そして、続けて、レイプの被害者は、精神的打撃のみならず、身体的外傷を受けたり、性感染症へ感染したり、妊娠したりすることがあると書かれている。更に、被害者は被害の後に加害者から、特定の文化においては、家族や親せきから、暴力や脅迫を受けることがあるとある。

・同意について(何を以て合意とするか)

ウィキペディアのConsentの項によれば、レイプの申し立てにおいて、被害者が性行為に同意しなかったということが最も重要であるということ。性行為に及ぶとき、同意ははっきりと表現されず示唆的であることがあるが、拒絶しなかったことイコール”同意”とはならないという。被害者が寝ていたり、薬物を摂取していたり、その他の精神的な問題により正常な判断力を有しなかった時におこなわれた性行為、及び無理やり行われた性行為はレイプとなる。また、性行為に同意できると法的にみなされない年齢の子どもとの性行為は、同意があろうとなかろうと罪になる。また、私が読んでいて重要だと思ったのは、次の文;

Consent can always be withdrawn at any time, so that any further sexual activity after the withdrawal of consent constitutes rape.

Rape, Wikipedia

「同意というのはいついかなる時も撤回されうる。従って、同意の撤回後の更なる性行為はレイプを構成する」これは、先ほどの本から引用した文ともきっちりと合致している。つまり、性行為の直前でも、最中でも、やりたくなくなったり、続けたくなくなったらノ―といってよいということ。そして、それに続く意志を無視した性行為はレイプとなる。また、「抵抗不可能な力や暴力によって、脅された、又は支配され、強迫された被害者は、それによって性行為(挿入)を拒絶することができない。このような場合には、同意はなかったと推定される」とのこと。権力の濫用や、恐喝も強迫を構成し、強迫状態にある場合、被害者は同意しなかったと推定されるそうだ。また、ルワンダ国際刑事裁判所(The International Criminal Tribunal for Rwanda)は、1998年の裁判において、レイプの定義として”同意”を含めない画期的な判決を下したよう。ルワンダ国際刑事裁判所は、レイプを次のように定義づけた。” a physical invasion of a sexual nature committed on a person under circumstances which are coercive.”(Fourth Annual Report of ICTR to the General Assembly (1999)より)「強制力の下にいるある人物への身体的で性的な侵略的接触」これによれば、”合意””同意”の有無に関係なく、何らかの権力の支配下にいる人物と搾取的性行為をした場合、有罪とされ、合意しなかった証拠を提出する必要はない。聞き及ぶ限り、日本で性犯罪を訴訟する場合、”強力な”合意しなかった証(例えば、深い傷や、ひどい打撲傷など)を被害者側が提示しなければ、性犯罪を立証することが難しいらしい。この、”不同意の立証”の国際的変遷について、興味深い本があったので紹介する。

ラディカ・クマラスワミ国連人権委員特別報告者著、「女性に対する暴力をめぐる10年:国連人権委員会特別報告者クマラスワミ最終報告書」の「第1章:最終報告文―4、性暴力・レイプ」の項では、1994年から10年間の、性暴力に対する国際的な動きについて、特別報告者が任務に就いた頃は、”…性暴力犯罪はほとんど報告も起訴もされず、目に見えない存在だった。”そう。さまざまな国、さまざまな文化には、”被害者を深く疑う法律構造”があり、レイプは、女性個人に対する罪ではなく、女性、およびその家族の「名誉」に対する罪である地域も多々あり、”このような法制度では、人間に対する暴力としての強かんは、刑法において適当な判断がなされていない。”と著者は主張する。(太字はTinyTimによる強調)また、伝統的な法制度においては、”「女性の意志に反して」”という言葉が含まれており、これは、”女性が打ち身やあざといった形で身体的な抵抗の証拠を提示することを要求し””医学的な証拠か目撃者による確証”が必ず必要だったという。また、女性への偏見にまみれた刑事司法制度には、”強かん被害者には暗黙の階級がある”というコンセンサスがあり、”もし被害者が若く、未婚の処女であったら刑事司法制度は訴えを真剣に受け止め”、”年齢の高い既婚の女性であったら”その真剣度合いは減り、”有罪宣告の可能性は若干少なくな”ったという。また、被害者の性の経歴にも判決は影響され、”ただ一人の夫や恋人との関係ではなかった”ら、”強かん罪の有罪宣告はなかった。”。しかしながら、こういった強姦罪を訴えにくくする法律や刑事司法制度はこの1994年からの10年間で変わってきたと、クマラスワミ氏は言う。多くの国は、”正義の現代的な概念に適合するように強かん法を改正”し、”「女性の意志に反して」という言葉は(法律の条文から)取り除かれ、””抵抗を証明するため”に”身体的な傷や打ち身”を証拠として提出することは不要となり、過去の性の経歴、被害者がどのような人物と、どのくらいの人数と、どの位の期間交際していたか、は、証拠法で”証拠として採用でき”なくなり、性暴力を証明するために被害者の証言を裏付けする必要はなくなった。(カッコ内はTinyTimによる補填) また、夫婦間の強かんや、恋人間の強かんなどさまざまな種類の強かんが、10年の間に認識されるようになったという。多くの国で、強かんの被害者の立場は向上し、”警察と検察庁には性暴力専門のチームがい”て性暴力事件に関して能力を発揮するようになり、警察署には、被害者が”人目に触れず居心地の良い環境で証言できる「強かん被害者用特別室」(rape suites)”が設けられるようになって、被害者の負担は減りつつある。クマラスワミ氏はこのような変化を評価しつつ、最後に、このような改革がすべての国で行われたわけではない、と強調し、世界の強かん事件の”圧倒的多数は未届け”であると言っている。(ラディカ・クマラスワミ著「女性に対する暴力をめぐる10年:国連人権委員会特別報告者クマラスワミ最終報告書ー第1章 最終報告書全文-4 性暴力・レイプ」より引用)

また、クマラスワミ氏は、同報告書の「第1章―2 武力紛争」の項において、1994年当時は、”紛争時に暴力の影響を受けた女性の権利を守る効果的な国際的枠組み”は存在せず、これを作ることが、女性の人権擁護団体の重要な目的の一つだったと述べる。さまざまな国の戦争、内戦、虐殺において女性が恐ろしい暴力を受けてきたが今までは不処罰であり、多くの国々が、戦時下の女性への強かんは”戦争犯罪でも人道に対する罪でもないと主張し”特に、これを強力に主張したのが、”「慰安婦」や性奴隷の問題が提起された時”の”日本政府の官僚”であったと氏はいう。しかし、そのような考え方は、人権擁護の発展に伴って駆逐されていった。その発展の中で特に重要だったのが、国際刑事裁判所(International Criminal Court)ローマ規程の採択にある、と著者は述べている。国際刑事裁判所ローマ規程は、”あらゆる形態の女性に対する戦時性暴力”を”明文で禁止”した。第7条(1)(g)において、”強かん、性奴隷制、強制売春、強制妊娠、強制断種、その他これに匹敵する様々な形態の重大な性暴力”は”人道に対する罪を構成する”とあり、また、第八条(2)(b)(22)には、国際紛争時における戦争犯罪を構成するものとして、前にあげたような重大で多種の性暴力があげられている。国をまたぐ国際的条約においても、このように、戦時下における強かんや強制売春、性奴隷を、罪として定義づけている。

このような国際社会の、人権擁護、女性の人権擁護の流れをみれば、従軍慰安婦のような、戦時下性奴隷の制度について、”必要だった”などと、仮にも知事であったような人物が、この二十一世紀に軽々しく言うことがいかに適切でないか分かるだろう。いかなる状況においても、女性への暴力は、人道に対する罪を構成する。この戦争犯罪や人道に対する罪を定義づけた「ローマ規程」については後日もっと掘り下げていきたいと思う。

・婚姻関係における強姦罪:Marital rape(Wikipedia, Rape,Marital rapeより)

婚姻関係における強姦とは、配偶者による強姦であり、同意のない、配偶者が加害者である性行為のことである。かつて法的に看過され無視されていたが、現在は国際社会の、婚姻関係における強姦の違法化の動きが高まっており、さまざまな国で違法化が進んでいる。しかしながら、今だ”性行為を妻に強要すること”は夫の”特権”であるという認識が拭えない国も多い。婚姻関係における強姦は、20世紀中盤位まではどこの国、地域、文化でも合法だったが、第二次フェミニズムの波と、人権運動が盛り上がるにつれて、欧米諸国は次々と違法化していった模様。最も早かったのは、北欧と東ヨーロッパで、1970年までには婚姻関係における強姦を違法としている。次に、西ヨーロッパとアメリカが続いた。アメリカ国内で最も違法化の動きが早かったのは、1975年に違法化のソースダコタ州、最もおそかったのは1993年に違法化したノースカリフォルニア州だった。イングランドとウェールズ地域が違法化したのはわりと遅く、1991年だった。妻にセックスを強いることを夫の権利とするよい例を示す判決が、1985年に東京地裁で下った。以下がその引用文である。

“The marriage presupposes sexual union between both sexes. It is in no way illegal for a husband to demand sexual intercourse from a wife, nor does a wife have any rights to deny such a request. Because of the plaintiff’s [wife] complete refusal of a sexual relationship for no reason, the defendant [husband] became sexually frustrated, could not tolerate it, and forced sexual intercourse upon the plaintiff.(…) Although it involved a certain degree of violent acts, it is within the range of the degree of force used in fights among ordinary married couples, and thus, it does not warrant a special consideration [by court].”

Robert, Albert R. (editor). Battered Women and their Families: Intervention strategies and treatment programs, Springer Publishing Company, 1998

「婚姻は双方の性行為を前提としている。夫が妻に性行為を要求するのは違法ではないし、妻もその要求を拒否する権利はない。原告(妻)が理由なく性行為を拒絶したことにより、被告(夫)はフラストレーションがたまり、それに耐えられなくなり、原告に性行為を強要したのである。(…)いくらかの度合いの暴力を伴っていたとしても、一般的な婚姻関係にある者同士のけんかの域を出ないものである。したがって、この案件は考慮に値しない」”

「夫婦喧嘩は犬も食わない」と、夫から妻への強姦やその他の暴力が、”家庭内の個人的な出来事”として等閑に付されてきたことを裏付けるかのような判決である。夫から妻への家庭内暴力が”喧嘩”とみなされ、性行為に応じることは”義務”だとされる結婚生活の中で、どれだけの女性が身体的にも精神的にも深い傷を負い、怒りのうちにいたかを思うと胸が痛くなる。そのような虐待を終わらせるためにも、”婚姻関係にあろうと、相手がノ―と言っているのに性行為に及べば、それは強姦であり犯罪である”という概念を啓発していくことが大切であると思う。性行為について、よい指南があったのでここに更に記しておく。ケリー・ヒューゲル著の「LGBTQってなに?」というこの本は、主にセクシュアルマイノリティへのアドバイスなどについて書いてあるが、第七章には、恋人、パートナーとのセックスをどう進めていくべきかということが書いてあり、これはセクシュアリティ関係なく一般的な性行為への立ち位置としてとても有益なアドバイスだったので、ここに引用する。ここではQ&A形式で、ティーンの、セックスに関する様々な疑問に答えている。

Q:セックスを続けたくなかったら・・・・・

A:すでにセックスの経験がある人でも、セックスが好きでなければ、いつでもやめられます。一度したからといって、ずっとしなくてはならないということではありません。……パートナーがあなたのことを本当に愛しているなら、きっと理解して支えてくれるでしょう。……

……性行為をしたがるパートナーに「いや」というのは、非常に難しいことです。でもその人とセックスをしなくてはならないという義務はありません。……

ケリー・ヒューゲル著 セクシュアル・マイノリティのためのハンドブック;LGBTQってなに?(英題:The Survival Guide for Gay, Lesbian, Bisexual, Transgender, and Questioning Teens)の第七章:セックスとセクシュアリティより

また、ヒューゲル氏によれば、セックスをするかしないかはいつ決めても、変えてもよく、それがセックスの直前でも、セックスに同意した後でも、前にOKしたことがあっても、どんな場合でも「いや」と言ってよいそう。「彼氏又は男性の家にある女性があがったら、それはセックスに同意したとみなしてよい」という考え方は完全に誤りであり、女性の性の自己決定権を蹂躙していると思う。女性がノ―といったらそれはノ―であり、沈黙も同意ではない。親しい間柄における強姦の概念は、地域によっては、いまだ大きな議論を巻き起こす話題となっているようだ。イスラム社会では、教典の教えにより、「妻は夫の性的要求を拒絶してはならない」というものがあるそう。以下引用。

“Allah’s Apostle said, ‘If a husband calls his wife to his bed[i.e. to have sexual relations] and she refuses and causes him to sleep in anger, the angels will curse her till morning.”

From Sahih Al-Bukhari Vol. 4 Hadith No. 460 & Sahih Muslim Vol. 2 Hadith No. 3368. See “Does a Wife have the right to refuse sex with her Husband?” Islamic Research Foundation, May 2011

”アラーの使徒は、「もし妻が夫の性的要求に従わず夫を怒りのうちに寝させたら、妻は朝まで天使に呪われるといった」”という内容なんだけど、とんでもない天使だね。とても男性に都合のよい”教え”だなと感じた。多分、その”教え”を書いたのも男性なのだろう。こういう考え方の男性も女性も周りに沢山いる。知り合い(女性)がその彼氏との接触を嫌がったとき、その人に「大人になって受け入れなきゃ」と言った人がいたがこういうこと。もし誰か男性とつがったら女性はその男性の性的要求に、いついかなる時も従わなければならない、という、女性の性の自己決定権を踏みにじる考え方。こういう考えがなくなっていけばいいなと思う。

映像作品における性差別(NEW YORK FILM ACADEMY presents)

NEWYORK FILM ACADEMYという映画学校によれば、映画の制作過程から内容まで、映像業界にも性差別が蔓延しているそうです。(以下訳)
ーーーーーーーーーーー

<映像作品における性差別>女性が主役となったアクション映画、ハンガーゲーム:Catching Fireの史上類を見ないヒットの幕開けが先週末にありましたが、New York Film Academyではこれをきっかけに、映像作品における女性の描かれ方に何か進展があったのかを調べることにしました。調査したデータを見返してみると、ハリウッドは今だ根強い性差別を温存させていることは明らかでした。勿論、多くの女性監督、女性キャラクターや出演者が現状を変えようと努力していることを否定するわけではありません。加えて、自主制作映画においては、今年のサンダンス映画祭に出品された作品の監督の半数を女性が占めています。しかし、まだまだ上映される回数も範囲も少ないです。映像作品における性差別問題に光をあてることによって、女性がメインストリームの作品により参加できるようにするにはどうすればいいか、という議論が巻き起こることを期待しています。

ーーーーーーーーーー(以下、最下部の図の邦訳)

ニューヨークフィルムアカデミーによる、<映像作品における性差別>

・女性の描かれ方(2007~2012年の売上上位500作品において)

30.8%の女性キャラクターがちゃんとした会話をしている/28.8%の女性俳優がセクシーな衣裳を着ている(男性は7.0%)/26.2%の女性の俳優が半裸になる(男性9.4%)/10.7%の作品が、役を男女半々にキャスティングしている/男性俳優と女性俳優の出演の平均の比率は、2.25:1/2007年から2012年にかけ、十代の少女のヌードが登場する割合が32.5%増加/重要な役どころの女性キャラクターのおよそ三分の一がセクシーな衣裳を着ているか、半裸になっている/監督が女性のとき、女性キャラクターが作品中に登場する割合が10.6%、脚本家が女性のとき8.7%増加/アメリカで、映画の観客の半分は女性

・映画業界で最も影響力がある五人の女性

KATHRYN BIGELOW-監督、脚本家、プロデューサー:2008年、The Hurt Lockerという作品で、女性監督として唯一アカデミー賞を受賞した人。Bigelowは20年以上映画製作をし続け、初期には1991年に公開されたPoint Breakで、そして昨年はZero Dark Thirtyで成功をおさめている。

AVA DUVERNAY-監督、脚本家、市場関係者:今年初め、二作目の監督作品、Middle of Nowhereがオスカー賞のノミネートから外れ騒ぎを起こしたが、彼女は2012年にアフリカ系アメリカ人の女性の監督として初めて、サンダンス映画祭で最優秀監督賞を獲得するという快挙を成し遂げている。

DIABLO CODY-脚本家、監督、プロデューサー:初めて脚本した作品Junoで名声とアカデミー賞を得る。彼女は過去六年間でハリウッドでますます勢いを増し、精力的に活動範囲を広げている。Showtime seriesのThe United States of Taraの制作、脚本をはじめ、Jennifer’s BodyとYoung Adultの脚本家とプロデューサーを担当したり、今年発表された初監督作品、Paradiseなどを手掛けている。

KATHLEEN KENNEDY:-プロデューサー:Kennedyは最も成功をおさめたプロデューサーの一人であり、今までに六十作品以上を手掛けている。初期にはRaiders of the Lost ArkとE.T.でヒットを記録し、続いてJurassic Park TrilogyとThe Sixth Senseを手掛けた。昨年、彼女はルーカス作品の第一人者と呼ばれるようになり、現在Star Wars:Episode VIIの制作中である。

LENA DUNHAM:監督、脚本家、俳優:2010年に脚本、監督した作品Tiny Funitureのリリースに続き、HBO(home box officeの略。アメリカの有料ケーブルテレビ放送局)が彼女が制作したシリーズ作品Girlsを取り上げるなど、彼女は有名になった。Girlsは来年の一月に第3シーズンが始まる予定だ。

・産業における性差別

映画産業で働く男女比は、男:女=5:1/女性監督は、フィクション(16.9%)よりノンフィクション、ドキュメンタリー作品(34.5%)を多く撮る/2012年の上位250作品における女性監督の割合:全体の9%、女性脚本家の割合:15%、女性チーフプロデューサー:17%、女性プロデューサー:25%、女性編集者:20%、女性カメラマン:2%/重要な職に女性が雇用されている人数が0-1人の作品が38%、2人が23%、3-5人が28%、6-9人が10%/FORBES(アメリカのビジネス雑誌)によれば、2013年に最も稼いだ女性俳優の給料は合計181万ドル、一方最も稼いだ男性俳優の給金の合計は465万ドル/2013年、女性俳優の中で最も稼いだアンジェリーナ・ジョリーは、最も稼いだ男性俳優の上位10人のうち、最下位から二番目のDenzel Washingtonと同額を手にしている。更に、男性俳優よりも女性俳優の方が、年齢によって成功を左右されている。/一作品につき貰える給料の額上位16位は、全て男性俳優で占められている。最も稼いだ男性俳優トップ10の平均年齢、46.5歳:一方女性俳優トップ10の平均年齢、34.8歳。

・過去10年間で良かった女性キャラクター

ハンガーゲームのKATNISS EVERDEEN(16) 特徴:誇り高く、意志決定力があり、勇敢でしたたかで現実的。/ドラゴンタトゥーの女のLISBETH SALANDER(25) 特徴:知的で公正で反社会的で鮮烈で物覚えがよく、粘り強く、賢明。/Diary of a Mad Black Woman(30代) 特徴:ロマンチストで忠誠心があり、信頼でき、柔軟性があり、復讐に燃えている/PersepolisのMARJANE SATRAPI(10-22) 特徴:攻撃的、自分を過信している、情熱的、サバイバルスキルがある、早熟の、不屈の精神をもった女性/メリダとおそろしの森(英題BRAVE-勇気)のメリダ(16) 特徴;社交的、勢いがある、わがまま、強情、戦士、屈強さをもっている。

・賞における性差別ーアカデミー賞の長い歴史の中で、四人の女性監督が最優秀監督賞にノミネートされたが、BIGELOW一人だけが受賞した。/2013年の第85回アカデミー賞で、19の部門において、男性140人、女性35人がノミネートされた。そのうち、監督賞、撮影賞、脚本賞(単独でのシナリオ)、音楽賞(独自の作曲)に、女性はノミネートされなかった。/過去85年間で、7人の女性プロデューサーが最優秀映画賞を受賞し、その受賞も、全てが男性のプロデューサーと共同で撮った作品だった/73年間でたった8人の女性しか最優秀脚本賞を受賞していない/85年間で8人の女性が最優秀改作脚本賞を受賞/77%のオスカー審査員が男性/2000年からこちら、最優秀主演女優賞を受賞する女性俳優の平均年齢が36歳なのに対し、最優秀主演男優賞の受賞の平均年齢は44歳。

・映画産業に関わる女性たち(省略)

 
New York Film Academy takes a look at gender inequality in film
 
ーーーーーーーーー
このような映像における性差別の現状を、データとしてはっきりと把握すると、より、自分が映像作品を見る時に感じる息苦しさの要員を突き詰めて考えることができる気がします。多くの映画には、”男性の理想像としての女性”しか描かれておらず、“現実の女性”はあまり登場してこないように感じます。今にも折れそうな腰や、磨き抜かれた容姿、依存的なライフスタイル、足手まといとしての”女性”ばかり描かれるのは、女としては遺憾です。男性だから勇敢なわけでも、女性だから引っ込み思案なわけでもなく、”その人が”勇敢だったり、臆病だったりするのではないでしょうか。それにわざわざ性別という属性を付加する必要はないと思います。また、この資料にも載っていましたが、映像作品で、女性はより、性的に客体化される(本人が主体性をもった一つの独立した人間として描かれず、<主に>男性目線を通じて男性にとって魅力的な女性が描かれること。対義語:主体化)ことが多く、物語の進行のキーパーソンとなる女性でさえ、体を露出していることが多々あるそうです。これは、女性に、主体性を失わせるばかりではなく、男性に理想化した女性像を見せ、彼らの女性に対する認識を狂わせ、それが女性と男性の交流を阻害してしまうことにもなるかもしれません。女性についての神話は、女性にとって有害であるばかりでなく、男性にとっても有害です。いずれにせよ、「男性」「女性」とカテゴリー分けするよりも、「その人」に焦点を当てて、作品の中のキャラクターを描いていくのがいいと思いました。

NHK heartnet TVでのM氏の発言について

この頃、NHKではLGBT啓発週間なのか、午後八時からのHEARTNET TVという三十分番組でセクシュアルマイノリティ特集を毎日やっている。先日の回は、Mさんが「性と生について語る」というテーマで、対談の形式で、自らのセクシュアリティと生き方について思うことをおっしゃっていた。私自身はセクシュアルマイノリティであり、女で、女の子を好きになる人だ。だから、彼が、今この国で、最も力のあるオープンリーゲイの芸能人として、またドラアグクイーンとして何を語るのかとても興味深かった。結果は、失望だった。これ以上聞いたら、自分の気持ちが立て直せなくなる、と思ったので冒頭十五分、つまり半分まで聞いた時点でテレビを切ってしまったのだが、その中で気になる点は二つあった。

まず、彼は、親子関係について言及された時、「(親に対し)公式にカミングアウトはしていない」とし、その理由に、「年老いた両親に自分がゲイであるという事実を知らせるのは、無責任だし申し訳ない」というような主旨のことを言った。最初の気になりポイントはここだ。どうして、子供がセクシュアルマイノリティであることがそんなにいけないことなのだろうか。それは親にとって、恥であり、カミングアウトすることは、周りの迷惑を鑑みない、”無責任な”行為であり、それは恥ずかしいことなのだろうか。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、その他の数多のセクシュアルマイノリティの人々は、そんなに”恥ずかしく””無責任な”存在で、エクスキューズなしでは、カミングアウトすることも許されないのだろうか。そして、こういう言説を、影響力を持った大人が発した時、子供はやはり、それに影響されて、自分は恥ずかしい存在、特別な理由なしには家族にはカミングアウトしてはいけない存在なのだと思い込んでしまう可能性が高くなってしまうと思う。日本のLGBTユース(若者)には、圧倒的にロールモデルが少ない。カミングアウトしている政治家、芸能人、その他影響力のある人物は少なく、映画、本、漫画、雑誌に登場するのは男女のカップルの恋物語――それが悲恋であろうとコメディであろうと――であり、マスメディアはLGBTの存在を無視し、テレビは彼らを道化として、またどこか遠くにいる異常者としてしか扱わない。授業では、この世には男女のカップルしかいないことになっており、時にはシスヘテロ(自分の体に性別違和感がなく、異性を好きになる人たちのこと)の男女以外の者についてネガティブなメッセージが発されることもあり、それは罰されない。このような、LGBTが社会から疎外された状況の中で、それなりに影響力のあるオープンリーゲイ(ゲイであることを周囲にカミングアウトしている人のこと)の方は、発言に非常に気をつける必要が出てくると思う。同じ同性愛者の人、とくに人生経験の浅いユースに対して、”同性愛者であることは恥ずかしいことだ”などというネガティブ・メッセージはできるだけ発さないでほしい。思っていたとしても、言わないでほしい。それは、若者を傷つけてしまうから。私も、その発言を受けて耳を塞ぎたくなった。現代の日本で、同性愛者であることをオープンにして生きることは、大変なことだと思う。ましてや、テレビに顔出しをして、カミングアウトするのはとても勇気のいることだし、尊敬している。だからこそ、Mさんを尊敬しているからこそ、私は、”LGBTへのネガティブメッセージを発信しないで”と強くお願いしたい。

二つ目の気になりポイントは、彼の「同性愛者であろうと何であろうと、自分が理解されないことを他人のせいにするな」だった。私はこれを聞いたとき、がっくりきた。彼は問題をあまりに一般化し希釈し過ぎている。確かに、一般的な人間関係において、相手に過度の理解を求めることはあまり賢いとはいえないだろう。親友であろうと守るべき一線はあるし、「私のすべてを理解して」というスタンスの人と関係が長く続かないのは自明の理だ。一般論としては完全に正論だ。しかし、マイノリティの人達にそれを言うのはあまりに残酷ではないだろうか。彼らが理解されず、迫害を受けているのは、あきらかに”その他の人達の理解不足、知識不足、恐れ”のせいであり、決して彼らのせいではない。LGBTが十分に日本社会に認識されていないのは、同性同士のパートナー法が制定されていない法律、LGBTについて触れられない保健の授業編成、LGBTに対する間違った認識(「ゲイは誰かれ構わず男を襲う」「レズビアンは過去に男に対する性的トラウマがある/エロい」「同性愛者はいない」「同性愛は”治療”できる」「レズビアンは男のよさを知らないだけ」「エイズはゲイの病気」など)の流布、などからあきらかであり、それを正すために、LGBTの人達は理解を求めていいと思うのだ。「何で理解してもらえないの」と泣いていいと思うのだ。それすら許されなければ、人間として生きている価値がないとすら思う。LGBTは化け物でも見世物でもない。あなたの隣にいる”人間”なんだよ、ということの何が悪いのか。シスヘテロの人達が享受している社会の恩恵を同じように受けたいし、その権利があると私は思う。こういうもろもろの思いが一気に湧き上がってきて、私はそれ以上テレビを見れなかった。LGBTコミュニティの中にも当然敵はいるのだと学べた日だった。

LGBTユースの、そして大人の人たちへ。――私たちは美しいよ!!元気がつく動画を一個☆

アメリカ人レズビアンデュオBria and Chrissyによる、LGBTの権利向上を鼓舞する、Avril Lavigne, Let Me Goのカバーのミュージックビデオ。(注:動画に出てくるFAG, QUIEER:オカマ、おなべ、変態など、LGBTに対する差別用語)

日本の不透明な死刑制度(the guardian)

12月12日付の英国新聞ガーディアンウェブ版を訳します。

ーーーーーーーーーーーーーーー

日本政府は、安倍政権に変わってからたった一年で、八人の死刑囚を不透明なやり方で絞首台に送った。報道によると、安倍政権が去年12月に発足してから今回が第四回目の処刑で、二人の男性が絞首された。以前の執行は、今年二月、四月、九月であり、政府は数カ月ごとの刑の執行を計画していることを示唆している。

メディアによれば今日、1986年の二件の殺人で有罪判決を受けたフジシマミツオさん55歳と、2000年および2008年にそれぞれ1人ずつ殺したカガヤマリョウジさん63歳が絞首刑に処された。

日本政府は、死刑を支持する強い世論を引き合いに出し、アムネスティとヨーロッパ連合による死刑廃止の要請を拒否している。日本では80%以上の人が死刑制度に賛成している。→

Thursday’s hangings came just after the parliamentary recess began, and as Abe’s approval ratings began to tumble following the passage last week of a controversial secrecy law.

(うまく訳せなかった)

続→谷垣法務大臣は、”2人は「残忍な」犯行によって有罪となった”と言い、死刑執行許可書にサインした。谷垣氏は記者に、”刑の執行は個々のケースに合わせた熟慮の上で注意深く執行された”といい、日本政府による不透明ではっきりしない処刑を再検討してほしいという声に対し、応じる必要はない、と付け加えた。

囚人は数年から数十年死刑の執行を待ち、通常刑の執行の数時間前になるまで執行されることを知らされない。彼らの弁護士や親戚は、死刑が遂行された後にしかその事実を知らされない。

2008年に公開された報告書において、アムネスティは、日本の囚人は異常に扱われ、冷酷非道で非道徳的で彼らを貶めるような罰に晒されていると主張した。

今年二月の死刑執行は、2012年九月以来初めてであった。左よりの民主党による前政権は3年3カ月の任期の間に9人を処刑した。18カ月間処刑がない時期もあった。2012年3月に刑の執行が再開されたときは、日本は死刑廃止に向けて前進していると信じていた活動家を激怒させた。

木曜日に、アムネスティは、日本は国際社会からどんどん外れていっている、と言った。

”安倍政権は速いペースで死刑を執行しており、それは国際社会が繰り返し要請している死刑廃止と真っ向から対立している”日本支部グループがそう声明を出した。

日本は現在、13人が死亡し、数千人が怪我を負った東京の地下鉄サリン事件を指揮していた終末論宗教カルトのリーダー、アサハラショウコウを含め129人の死刑囚がいる。

そして、日本とアメリカは、中国とイランを含める死刑制度を続行している国50カ国と並び、G7で唯一死刑を廃止していない国である。すべてのヨーロッパ連合のメンバーの国々を含む世界の三分の二以上の国は死刑制度を廃止している。

ーーーーーーーーーーーーーー

theguardian:Japan condemned for ‘sercret’ executionsより

ーーーーーーーーーーーーーーー

この記事を真剣に読んでみて、日本のメディアがいかに死刑賛同よりかわかりました。まず、生きてきて、日本に住んでいて、常に情報には触れていたりするはずなのに、刑の執行が直前まで囚人の方に知らされないということを、これを読んで初めて知りました。そしてまた、NHK NEWSWEBの「2人死刑執行 安倍政権で8人目に」によると、執行の判断基準も曖昧で公開されていないとのこと。気分や印象でも決められるということなのかもしれないですね。

 

 

繊維筋痛症とともに生きる(音声動画)

繊維筋痛症とは、病気やケガをしていないのに全身のあちこちが痛む病気。全国に患者が推定200万人はいるとされながら、適切な治療を受けているのは数千人といわれる、”見えない病”。最近は大分可視化が進んだけれども、私の住む東北には、繊維筋痛症が分かる整形外科医は1人もいないと、はっきりと整形外科医に言われた。患者はおろか、医師も知らない病気である。最近になって、繊維筋痛症の当事者である橋本裕子さん(著書:そうまでして生きるわけ)が中心となったNPO法人 繊維筋痛症友の会 が設立され(平成14年)、多くのさまよえる患者に道標を与えている。自分自身が患う筋筋膜性疼痛症候群は、実はこの繊維筋痛症と症状がオーバーラップすることが多く、私は自分の病名を知ったときからこの繊維筋痛症についても興味をもってきた。先日、繊維筋痛症でググっていたところ有用な音声動画に突き当ったので紹介する。

繊維筋痛症とともに生きる(PART1~5のうち1)

 

 

体を脱ぎたい

今晩のニュースゼロで繊維筋痛症がとりあげられていた。そこで患者さんが「痛くて辛すぎて体を脱ぎたい」と言っていた。とても秀逸な表現だと思った。私もこの体を捨てられたらどんなにいいことかと思う日もある。痛くて耐えられなくて。

ハラスメント日記

<なぜハラスメント日記をつけることにしたか>

路上での女性へのハラスメントには事欠かない世の中。そこに生き、日々不快な経験をする身として、いつ、どのように、どのくらいの頻度で、主に性別に根差したハラスメントを屋内外問わず、そして形式を問わず記録しておくことは有意義だし、他の人のためにもなると思った。(対策を考えられるから。まず敵を知ることが大切)そして、例えば私というひとつのサンプルだけでも、どの年齢層の、どの職業の、どういう容姿の男性が、一般的な「若い女」に、性的嫌がらせを含めする傾向にあるのかどうかを分析することは、今後嫌がらせを根絶していくうえでためになるだろうと思ったから。そして、自分が思春期の頃に、そういった嫌がらせに盛大に傷ついたとき、同じような経験をシェアできる友人や、ネットのサイトもなかったから。私が住むのは、地方都市ゆえに「痴漢」についてのデータは集められないので、主に路上でのハラスメントや、友人知人などからのセクハラ発言に焦点を絞っていく。

本日(主に)性別を根拠とした嫌がらせ、言動による攻撃を受けた回数ーー2回

いつーー①②お昼頃 どこでーー①電車内 ②駅構内 誰がーー自分が 誰から――①隣席の40~50代の男 ②40~50代の男 どのようにーー①10回以上にわたり舌打ちをした ②すれ違いざまに意味不明な、唸り声をあげた/言葉を呟いた

Update

③駅のホームで背広の壮年の男が不愉快なほど近い距離(ほとんど接触)で後ろから追い越していった

④駅の高架橋階段で、若い男が大きな足音を立てて後ろから追い越していった